煮込まれ口

時間は有限。それ故に効率的且つ、有意義に使用しなければなりません。

そもそも無意義をテーマとしているこのブログを読み書きしている時点で矛盾しているように思えますが、そもそも有意義な時間とは一体何でしょうか。

少なからずともその経過した時間が自身の中で印象として残る事象を最低ラインとして考えましょう。

仮に何の目的もなく、特に何を考えるわけでもなくゴロゴロと寝転び、気付いたら寝てしまっていた。特段リフレッシュできたわけでもなく、体が休まったことよりも無駄な時間を過ごしてしまったという自責の方が上回ってしまい、結果として虚しさだけが残ってしまった――知識にもならず回復にもならない。毒にも薬にもならない。これこそが無意義と言えましょう。

ではこれが無意義と定義づけられるのであれば、今この日記を読むという行為はどちらに位置づけられるのでしょうか。

有意義も無意義も形は定まっておらず、幅は広く、そして狭い。自分の行った全てが有意義と言う人もいれば、形として残らない、子孫を残しても功績を残さなければ人生自体を無意義と捉える人もいるでしょう。

人の数だけ考えがある、そんな煙を掴むような曖昧な認識からはじき出される答えというものは一体何か。

答えはどうでもいいです。

本来私はこんなことを書くつもりはありませんでした。

私は論点をずらし、脱線し、尺を伸ばすのを悪癖としていますからね。

今こうして悪癖の話をし始めましたが、この悪癖からまた更に自己紹介へと続けていく"どうでもいい"の連鎖が繋がっていくのが目に見えます。

どうでもいい内容の日記なんて何の需要もないのです。書いていて無意義です。

では日記として何か書ける話題はあるかどうか。問題はここです。

ネタ帳を覗けば幾つも日記として書くネタがありますが、如何せん今回私は酷く遅い時間に日記を書き始めてしまいました。

いつもであれば日を跨ぐ頃を見計らって書き始めて午前2時には更新しているのですが、昨日までの1週間は酷く仕事が忙しく、ようやく週末を迎えることとなった昨晩に至っては、緊張の糸が切れてしまったのか食後のうたた寝がとどまるところを知らず、結果として日記を書くタイミングを失ってしまったというわけです。

しかしこんな話題もどうでもいい。

本題に移ろうかと考えた矢先に早速脱線です。線路上を走る鉄道と例えるのであれば、最早初っ端からアスファルトの上を走った方が良いんじゃないかと考えられるくらい脱線ばかりです。

道路上を走れば脱線も糞もありませんからね。道路上に線路でも敷いてあるものならばどれほどまでにインフラが混乱するか計り知れません。世の中には チンチン 路面電車というものも存在しますが、そういったものではなく、一般的に隔離された線路上を走る電車が道路上を車と一緒に走っている世界が仮にあったと想像してみましょう。

――想像できましたか?

私は面倒なので想像すらしませんでしたが、一緒の世界にいてはいけないものであるとわかったでしょう。

言わば水と油。頑張って混ぜりゃ何とかならんですかね。無理ですよね。犬と猿みたいなもんですよね。犬と猿のキメラを研究する人は世の中にそうそういないでしょうからね。

マジカルバナナじゃないですが、こうして脱線を繰り返していく内に本題に移ることはできないでしょうか。

今回私が日記のネタとして狙っている話題は"カップ麺の待ち時間の内に1フロア下にあるトイレで糞を放り出し、間に合わせることができるかどうかの挑戦“というものなのですが、キメラからどうやってここまで話を持っていけば良いのでしょうか。

キメラもうんこをすると思うんですが、私もうんこをします。

うんこと言えば先日、昼食にカップ麺を食べたのですが、カップ麺にお湯を入れてからの待ち時間に別のことを進めて時間短縮を狙ったのです。

幸い今回食べるカップ麺はちょっと贅沢な5分待つタイプの物。若干腹痛気味で、昼食後に必ずトイレを行くタイミングがあることをから、その時間を今の内に済ませてしまおうとこの5分の間で1フロア下にあるトイレへと駆け込もうとしました。

幸いトイレは混んでおらず、私の便意もズボンを下ろしたら即座に射出する準備ができています。

無駄のない動き、最低限の動きで放り出して事務所へと戻ります。便器は全自動で立てば勝手に水洗しますし、チャックも上げました。ちゃんと手も洗いました。私は時短に成功したように見えました。

しかし戻る頃にはもう既に5分は経過していたのでしょう。麺は最適の状態ではありませんでした。

でもそんなことはどうでもいい。

多少時間が経過したとあっても食べられるのであればそれはカップ麺です。ラーメン屋の主人の体調が若干悪かった程度に考えて食べれば問題ありません。私は時間を短縮させた状態で有意義な昼休みとさせることができたのです。

そう、これこそが有意義な時間の使い方。きっと私はこんな綺麗なオチを見せつけるために冒頭でああいった能書きを垂れていたのでしょう。

で、結局肝心なのはこの有意義な時間を過ごしたという内容の日記を読んだ時間が有意義か無意義かというところですが…(最初に戻る)