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対与謝野晶子用顔面迎撃システム『KURAI-TAMAHE』

2022年11月8日

対与謝野晶子用顔面迎撃システム

ご挨拶(敬礼)

おはよう、皆の衆。定次さんです。

私は歴史に疎い人間で、学生時代も歴史というものがどうも苦手でした。

西暦何年にどこで誰がどんなことをしたのか、何が起きたのか……全くもって理解を得るための興味が湧かなかったのです。

今こうしてキーボードを叩きながらパッと頭に思い浮かべることができる歴史上の人物、フレーズも『大塩平八郎の乱』と『ベーコン(哲学者)』くらいでしょうか。

何しろ自分自身の年齢すら忘れてしまうくらい時の流れというものに関心が持てない人間ですからね。

流石に自分の年齢を第三者から指摘されることで間違いであると気付いた時には若干の危険を覚えて震えましたね。

そんな歴史に疎い人間な私でも与謝野晶子という名前くらいは知っています。

この人が具体的に何をしたのかというところまでは把握していませんが、顔とその有名な詩のタイトルくらいは知っています。

『君死にたまふことなかれ』

彼女がこの詩の中に何を書いたのかは無勉強な私は存じ上げません。

しかしモノクロで映し出された彼女の真顔が、先日寝る前に行う肌ケアの最中、目を瞑った際に鮮明に現れたのは事実です。

正面を向いた真顔の写真。顔部分だけが瞼の奥向こうからまっすぐとこちらを見ているのです。

「何故急に与謝野晶子?」と思い、ハッと保湿クリームを塗りたくる両手の平を顔から離して目を開ければ彼女は目の前から消えるのですが、再び顔にクリームを塗る際に目を閉じればまた彼女は瞼の奥で私を見てくるのです。

それも先程よりもずっと近くから。

寝る前の肌ケアをする度、彼女の真顔が私の元へと近づいてくるのです。

不思議と恐怖はありませんが、きっかけに心当たりがないものですから困惑を隠せません。

「今ここで寝るために目を閉じたらまた彼女の顔が近くにやってきているのだろうか」

インターネット上に転がる月並みな怖い話の定石ではありませんが、そんな話の結末と同じにならないか一抹の不安を覚えながら何事もなくその日の晩は眠りにつきました。

翌日、私はすぐに対策を練り始めました。最悪の結末を迎えないように。

寝ることや瞬きをすることで彼女の顔が出現するわけではない。あくまで肌ケアの際に保湿クリームを顔に塗った際にのみ彼女の顔が近づいてきているというのが現状わかっている情報の全てです。

「洗顔やシャワーの時はどうだろうか?」

現時点で判明している限りではないですが、懸念材料の一つとして、尚且つ最も敗因に近い行為として警戒に移ります。

寝ぼけ眼を擦りながら洗面台に向かい、冬も近づく乾燥した空気にあてられたボソボソの顔を洗います。

この際に私はすっかりと彼女の存在を忘れていました。気が付けば普通に顔を洗っており、さっぱりとした朝を迎えていました。

では、シャワーの時はどうか?

洗顔が一日の始まりと例えるのであれば、シャワーで体を洗い流すのは一日の終わりを意味しても過言ではありません。

一日の終わりとなる夜を迎えるまではまだまだ時間に余裕がある……そうであれば万が一のことを考えて迎撃システムを用意しておくべきだと私自身の中で結論づいたのは間もなくのことです。

彼女の顔が本物であるかどうか歴史に疎い私が現状判断するのは難しい。もしかしたらただ非常に似た顔なだけかもしれない。

そしてそれがもし害をなすものであれば迎え撃つための備えをしなければならないのは必然です。

現状物理的な攻撃が聞かないことは直感から理解しています。

相手が概念であるのであればこちらも概念でねじ伏せる他になく、イメージ対イメージの戦いが今ここで始まろうとしていました。

出現条件は寝る前の肌ケアの時間、クリームを塗る際に目を閉じたその瞬間です。

もしかしたらシャワーの間にも対象の概念は攻撃のため私自身へと接近する可能性はありますが、現状得ているだけの情報への対象に特化させた対概念砲を従来のものよりも改良し、特定のポイントへと設置します。

迎撃のイメージは認められておりません。あくまで土壇場で何が起きるか考えを巡らせるだけの戦いとなります。

こうして私の中に配備された『対与謝野晶子用顔面迎撃システム』は臨戦態勢をとるのですが、あくまでこの戦いはイメージだけで巡らされ、完結するものとなるため過程も結果も理解しておりません。

目を瞑れば彼女の顔は間近に映し出されていますし、都度迎撃システムからの砲撃が概念を打ち砕くイメージを繰り返しています。

結局のところ何が起きているのかわかっていませんし、どうなっているのかもわかりません。

とりあえず歴史に疎い私は与謝野晶子という人物が何者であるかを知る必要がありそうだということもあり、つい先程から別のタブでWikipediaのページを開いております。

開いたことで無勉強が解消されるというわけでもなく、理解が深まるということもなく、歴史に対する興味が深まったわけでもないため、私はただ何事も起きないままの平和な日常を今日もまた元気に過ごしております。

はるのうみ ひねもすのたり のたりかな

それは与謝蕪村では?


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