【偽善】雪かきによる集団心理の誘致実験
おはよう、皆の衆。定次さんです。
年末の時期に入り、冬も本番。全国では北日本を中心として時折降雪や積雪が見られるようになりました。
私も北海道に在住しているということもあり、毎年この時期の雪には頭を抱えるばかり。
北海道は食材も美味しいですし、雨も少なく、湿度も低い。今年はなかなかどうして残暑厳しい年となりましたが、本州と比較しても夏場が過ごしやすいなどとメリットが多いように感じます。
――しかしながら困るのが冬の季節。
『試される大地』と揶揄されるだけあって、冬場の気候は非常に厳しい。
常時マイナス気温は当たり前。あまりの寒さに頭が狂ってしまうのか、この時期になると1桁気温で寒い寒いとSNSで嘆いている本州の人間に対して、つい無意義なマウントを取り始めてしまうのが北海道民の悲しき性です。
また、北陸地方ほどではないですが、これからの時期にはまず間違いなく大雪が降り積もります。
本州で降るような水気を帯びた重たい雪とは異なり、パウダースノーのような柔らかくて軽い雪であることが特徴。
軽いが故に除雪自体に重労働を強いられることは多くないのですが、いかんせん車の運転がままならなくなるのが悩みのタネでございます。
そして何より一番の問題はこれらの事象が噛み合ってしまうこと。
日中、プラス気温になる本州ではいくら雪が降り積もろうといずれは溶ける場合が多いのですが、北海道という地域は常時マイナス気温ということもあって、一度降り積もった雪は暖かくなるまで溶けないのです。
よって北海道の冬は春の雪解けの季節までの長丁場。それまでの期間、いかにして雪を溜めないかが勝負となるのです。
先日も12月にしては珍しくそれなりの雪が降りまして、私の住んでいる集合住宅の駐車場は一面雪で覆われてしまいました。
積雪量はくるぶし程度とまだまだ多くはなかったのですが、これが積み重なってしまうとやがて駐車場が大変なことになってしまう――。
だからこそ今年の私は早々に行動に移すこととしたのです。
そんな雪かきに対する熱きドキュメンタリーと、雪に対する憎悪をとある検証とともに紹介していきたいと思います、今回の記事でございます。
いかがでしたかブログという存在を知る
私という人間は長年ブログを書き続けておりますが、恥ずかしながら最近まで『いかがでしたかブログ』という言葉を知りませんでした。
厳密に言えばその形式のブログ自体は認知していたのですが、『いかがでしたかブログ』という蔑称を知り得ていなかったのです。
――スマホが普及した昨今、日常下などでふと気になったことがあれば簡単に調べ物ができる時代となりました。
Googleなどの検索エンジンを媒介として、ウェブサイトの世界ではブログなどといった形で善悪問わずあらゆる知識が豊富に立ち並ぶようになりました。
そして当ブログ『下衆と皮肉』も例外ではなく、人が思考する知識の一片を些末な存在ながら担っています。
しかしはそんなブログ界隈の発信する情報というのも全てが全て正しいというものばかりではなく、その内容は結論の出ない曖昧なものから、実情とは異なる虚偽のものまで様々。
単純に知識不足のものもあれば、承認欲求由来の欺瞞など――記事自体の内容は多岐に渡りますが、中でもアフィリエイトなどといった金銭が絡んだものとなると、尚小賢しく、厄介なものへと変わります。
見聞を広げようとするユーザーは基本的に正しい情報を得ることを目的として調べます。
しかし、ただ検索して出てきた記事はどれも詳細がわからない。
半ば見えないところに手を突っ込むかのように調べ続け、結果「これだ!」と思える見出しを見つけてから長々とした前置きを読んだ挙げ句、求める情報を見つけることができなかった――これほど腹立たしいことはないでしょう。
時は金なり――。
時間はお金と同等に、もしくはそれ以上に重要なもの。
ブログを介して情報を得ようとする時間自体が当人にとって重要であるかどうかはわかりかねますが、無駄にした時間は返ってきません。
精々「このブログはゴミだ」という、人生の中でも何の役にも立たない勉強代にしかならず、到底割に合いません。
ハズレを掴まされるということが腹立たしいのはわかります――。しかし、それでもそんな数ある中のユーザーの1人の感情なんて微塵にも思わないまま、自身の利益だけを考えてハズレ記事を多数投稿するブログが世の中にはたくさん存在するのです。
――話していて随分と耳が痛くなりました。
当ブログ『下衆と皮肉』自体も検索結果からユーザーに目を通してもらおうと、意味深な見出しで記事を投稿しております。
実際問題、蓋を開けてみれば中身のない内容の記事ばかり。今回の記事もきっと例に漏れないものとなるでしょう。
しかしながら、当ブログはそんな『いかがでしたかブログ』という有象無象と一緒にされたくないと考えています。
傍から見れば目くそ鼻くそかもしれませんが、当ブログは端から鼻くそであると公言した上でオリジナリティを主張しているのです。
そもそものところ、『いかがでしたかブログ』というブログにオリジナリティは存在しません。
外国人が悩ましげな表情を浮かべているようなありがちな画像素材を使い、どこかしらのサイトから引用した程度の当たり前の情報を書き並べて引っ張りに引っ張った挙げ句、「わかりませんでした」で結論を出し、「いかがでしたか?」と、さも閲覧したユーザーの思考に委ねるかのような常套句で締める……何の中身もないブログです。
一瞬耳が痛かったとは言え、そんなクソに対して下衆と皮肉を比較に出すのは言語道断。失礼極まりない。
私の手掛けるブログはオリジナルイラストしか使用していませんし、どこかしらのサイトの情報を引用したところで全て無下にします。身も蓋もない雑談で引っ張りに引っ張った挙げ句、結論すらも霞んでしまうほどの投げっぱなしで、自分自身に「いかがでしたか?」と、さも閲覧したユーザーの立場になった気分のまま締まらないまま終わる、何の中身のないブログ――似て非なるものであると一目瞭然でしょう。
少なくとも私のブログの中には読み物としての意義がある。
それが面白いかどうかは個人に委ねることとして、私は下衆と皮肉が陳腐なブログとならないよう、『いかがでしたかブログ』という言葉を知った上で、今後も努めていきたいと改めて考えたのでした。
集合住宅における雪かきの範囲はどこまで?
毎年恒例、冬の時期に降り積もる大雪は私の憎悪を日々膨らませていきます。
その憎悪は時折行う雪かきにより多少なりとも解消されるわけですが、尚も降り積もる雪にその鬱積は払い切れるはずもなく、雪解けの季節まで私は苦い顔をして過ごす他ありません。
――ただ雪かきをするだけなのにどうしてそこまで憤慨するのか。
単刀直入に言えば駐車場から車が出せなくなるからであって、交通手段がなくなる以上の理由はありません。
仮に私の住んでいる住宅が一戸建て、もしくは通りに面した駐車場を有した集合住宅であればこれほどまでの苦労はなかったでしょう。
しかし私が住んでいる集合住宅に限っては、ただ自分の所有する車の周りを雪かきするだけでは事足りず、広い範囲で雪かきを行わなくてはなりません。
集合住宅の住人皆が高い意識を持って雪かきをするのであれば必要ない行為かもしれませんが、必ずしも皆が皆、雪かきに意欲的だとは限らないのです。
――で、あればどうすべきか?
それは何よりも単純なお話。私自身が率先して雪かきを行い、その姿を顕著に周りに見せつけるだけ――。
日本人の心理は何かと同調圧力に弱いもので、今回私はそんな心理を考慮した上で雪かきを行いました。
ただ何もしないよりも、その結果を出すだけで誰しも何か思うものがあるはず――今年の雪かきは例年よりも一味違うものとなるはずです。
文章から漏れ出る恨み辛みから察することができるかと思われますが、毎年苦労する理由として我が家の駐車スペースが駐車場の出入口から離れた場所に位置しているからというものがあります。
駐車場の奥に位置しているために場合によっては出入り口までを全て除雪しなければ動けないといった事態が発生するのです。
そして同時に住宅街にある中の集合住宅ということもあり、降り積もった雪を寄せる場所がない。
とりあえず一時的な処置として建物側に雪を寄せるのですが、これが続くと駐車場自体のスペースが足りなくなってしまい、身動きが取れなくなってしまうのです。
俯瞰図を見ていただくとわかりますが、斜線部分が毎年問題となっている雪の部分。
住民皆が建物に雪を寄せるため、徐々にスペースが圧迫されて車が動かせなくなってしまうのです。
駐車場入口側の住民は歩道側に寄せるだけでスペースが確保できますし、頭から侵入して用意にバック駐車が可能。
しかし奥の駐車場ほど駐車場内での切り替えが困難になり、状況次第では通りからバックで侵入する必要が出てくるのです。
事例と言えば普段は別の世界線を例に挙げるケースが多いですが、今回ばかりは実体験による実例が豊富なので真面目に紹介します。
――とは言え、過去の記事を読んでもらえれば簡単にわかる話。
過去にどんなことがあったからここまで雪を恨むこととなったのか――ぜひ読んでみてください。
完璧な雪かきの見本は他人も真似をするのか?
先述の通り、先日は例のごとく多少なりの雪が降り積もりました。
状況的に見ればくるぶし程度の積雪と然程大したことのない積雪量。しかしこれが溶けずに積み重なっていくと考えると見過ごすわけにはいきません。
他の駐車スペースでは既に雪かきが行われている箇所もありましたが、案の定自分の車の周りと正面のみをかき、それらの雪は全て建物側に寄せてあります。
大雪スタック事件から早3年が経過しようというところ――当時のアパートの住人は既に何戸かが移り変わり、当時のことを知らない新参者も増えました。
そもそも自分の駐車スペース以外の場所を雪かきする義理なんてものもなく、わざわざ遠くにまで雪を捨てる手間をかけたくもない人がほとんどでしょう。
――そんな中、私は仕事から帰った後、一人だけで駐車スペース全ての除雪を行いました。
建物側に寄せられた雪も何もかも全て――。
一番奥から始め、スノープッシャー1つで全ての雪を入口側の不要スペースまで寄せたのです。
時間にして2時間弱くらいかかったでしょうか。
途中、帰宅した他の住人と何回か鉢合わせになり、挨拶を交わしつつ感謝されましたが、傍から見ればお節介にしか見えなかったかもしれません。
――しかしその姿が他の住人にとってどんな姿で見えたのかが今回の検証の実態。
傍から見れば単純にお人好しなだけだったかもしれませんが、実際には誰のためでもない、全て自分のために行った雪かきでした。
予め建物に寄せられていた雪は露骨に取り除き、いかにも「建物に寄せてはいけない」という雰囲気を出しました。
そしてそれらの雪を全て一箇所に集め、さもここに集めるべきだと言わんばかりに雪山を作ったのです。
――誰がどう見てもやりすぎなまでの雪かき。
しかし主導的にこの雪かきが行われたことで、今後の住人がどう立ち回るのかが見ものとなったのです。
――結論はまだ出ていません。
あくまで考察という段階にありますが、実際に今回大げさに雪かきをしたことで他の住人に心理的な作用が働いていることは確かであるとは考えられます。
あれから大雪が積もったわけではありませんが、実際問題、これまで建物側に雪が寄せられている雰囲気はなく、それでいて雪山に雪が寄せられている痕跡が見受けられました。
これはまだ雪事態が少なく、雪かき自体も容易であるから――ということが理由として考えられますが、今後の進展としては非常に良い傾向にあると思われます。
そもそも雪かきによる同調圧力というものは古い昔から行われていた手法とされ、別の世界線ではその心理を利用した雪かきを記したであろう壁画が発見されています。
この良い流れが今後も続くかどうかはこれからの大雪シーズンにわかるかとは思われますが、そもそものところ大雪が降らなければ解決する話であって、検証結果云々よりも大雪は降ってほしくないと切に願うばかりだったりします。
いかがでしたか?
今回の私の行動が閲覧者の皆さんの目にどう映ったか意見や感想を持っていただけると嬉しいです!
やってきましたね。大雪シーズン。
そうですね。嫌になりますね。
私考えたんですけど、雪に困っているのであれば雪という概念を消してしまえば良いと思うんです。
概念を・・・消す?
雪というもの自体を認識しなくなればいいだけの話です。
つまり雪が何かわからなくなれば良いという、無知ゆえの無敵理論ですか。
そういうことです。
今外に積もってる白いあれって何ですかね?
わかんない。
何か冷たいし滑るし・・・邪魔ですね。
何かこの白いやつ邪魔ですね。
いっぱい降ってきましたよ。
どんどん積もっていきます。
うわぁ、何かよくわかんないけど大変。
助けてくれー!
うわー!助けてくれー!