2025年、君はどんな初夢を見たか。


おはよう、皆の衆。定次さんです。
何だか久しぶりの投稿なような気がする今回の記事の始まり。
実際問題、いつぞや宣言した不定期投稿を口実に最近はすっかりサボり癖がついてしまいました。
――サボり癖がついたまま正月を迎え、気が付けば時は1月の半ば。振り返ろうものならばあっという間に時間は過ぎ去ってしまうものです。
しかしながらこうして元旦から半月が経とうとしている中でも正月の頃の出来事を振り返るのは何も罪でもありません。
いくらサボり癖がついてしまったからとて、心の奥底では記事を書きたいと、文章を書き殴りたいとフラストレーションが溜まっておりました。
奇しくも今宵は正月を迎えてから初めての満月……小正月。
小正月には初夢の内容を話しても良いという成約が――特別あるわけではありませんが、折角ですので正月に見た初夢の内容をこの記事の場を借りて披露させていただきましょう。
満月の夜は血が騒ぐ――。
とある別の世界線ではこの世に生まれ落ちたその瞬間、狼に拾われ育てられ、そして人間社会というものを知らないまま狼男として巷で飲食店のバイトを初めたところ、あまりにも獣臭いということから客に煙たがられ、人格者である店長が手を差し伸べてくれたにもかかわらず、その手に噛みつこうとしたことで泣く泣く店を追い出されることとなり、結果、満月の夜に拾ってくれた狼達に向けて遠吠えをしようとするものの、元々あまり声量もなかったということからむせ返る日々を過ごしていた――とホラを吹くホームレスに耳を傾けようとしていたと武勇伝を語っていた当時の私でしたが、実際問題満月だからって体に変化はありませんし、そもそものところ月齢には全く関心も知識もありません。
とりあえず今日は小正月だからと言うことでそれっぽい言い回しから話を合わせつつ、尺を稼ぎつつ、本題へと移っていこうと考えながら冗長を語っております、今回の記事でございます。
憎きアイツを捕まえたい
マンガやアニメ、ドラマと言った脚本の中には感情のないキャラクターが存在するものですが、人間という生き物は基本的には誰しも感情を持ち得ています。
私とて同様。いくら中学生時代に厨二病を患っていたとは言え、当時は感情のないキャラクターを演じるどころか感情に名前を付けて必殺技のように振る舞っていたものでした。
故に今も尚、感情は失せておらず、時にはとある人物を、時にはとある事象を憎む気持ちが湧いてきます。
そしてその負の感情はたった今、現在進行系で私自身――私の右側に位置した鼻の穴へと向けられています。
ディスプレイを介して向かい合わせとなっている皆さんから見たら左側の鼻の穴でしょうか。
ディスプレイ越しにその憎悪の穴が見えていると決して断言できるわけではありませんが、よく目を凝らせばきっと見えているでしょう……その深淵からちょろりと顔を覗かせる細い鼻毛が。
この憎き鼻毛は随分と前から私の鼻の穴に巣食い、居座るようになりました。
存在に気が付いたのは1週間ほど前でしょうか――入浴中、鼻の穴の中をもさっとした感覚が襲ってきたのが始まりでした。
最近では同窓会の話もあったので鼻毛の処理には余念なく過ごしていたのですが、感覚から察するにこの鼻毛が生えている場所は鼻毛カッターも届きにくい鼻頭の裏の辺り。
本来は鼻毛たちが大人しくコロニーを作って生え散らかしているだけの場所なので特別気にする必要はないのですが、いかんせん今回ばかりははみ出し者が現れたのか、鼻息荒く吹きかける度にそいつはケラケラと嗤うように顔を覗かせるのです。
【同窓会の時の話はこちら】
顔を覗かせる度、私は鏡に顔を近づけてそいつをつまもうとするのですが、そいつが顔を出す瞬間は決まって私が頭や体を洗っている最中ばかり。
指先が滑る瞬間にしか現れないものなので、摘もうにも爪先が滑って取り逃がしてしまいます。
で、あれば風呂上がりに急ぎ洗面台まで駆け寄って、寒い脱衣所の中で真っ裸のままピンセットを取り出そうとするのですが、どういうわけかこういった時にはいくら鼻息を吹こうにもピクリとも動く気配がありません。
洗面台の鏡に顔を近づけ、湯気で曇っていない鏡の部分を覗き込みながら必死で鼻息を荒げます。
鼻息を吹く度に鏡は曇り、鼻の穴を覗こうと上下左右に顔面を動かしながら鼻毛が顔を出す瞬間を狙います。
しかし毎度そこからそいつが顔を出すことは一切なく、鏡の大部分が曇ったところで諦めるのが常となってしまいました。
そしてまた翌日、シャワーを浴びている最中にそいつは嘲るように顔を出し――イタチごっこが始まるのです。
出る杭は打たれる――と言うように、伸びた鼻毛は引き抜かれる運命にあります。
しかしそいつは未だに私の手をかいくぐりながら伸び続けているのです。
今日こそ私は憎きそいつを捕まえます。
今度はピンセットを風呂場に持ち込んで――。

そもそものところ、どうしてこれまで風呂場に毛抜きを持ち込もうという発想に至らなかったのかが不思議。

きっと心の奥底ではこの出会いに楽しみを覚えているんでしょうね。

馬鹿みたいですね。

今年の初夢はどんな内容だった?
正月というものは色々と楽しみが多く、年の始めということから人は何かと『初』の事柄を特別視しがち。
初日の出に初詣、初笑いや初売り、書き初め、姫始め……と様々。
何なら『初』と付ければ何だってめでたいものだと考えるくらいです。
しかし中でも特に話題に上がるのが『初夢』。
夢というものは曖昧な存在故にオカルト的なものとして捉えている人も少なくありません。
自身の脳内で繰り広げられている非現実的な世界といえど、自分自身が現在進行系で、且つ主観的に体験している内容だからこそ神聖視してしまう――。
そんな夢だからこそ、年の始めに見た夢を一層特別視してしまうのです。
どれくらい特別視されているかと言えば、その年に初めてみた夢の内容次第でその一年の運勢を決めてしまうくらい。
それほどまでに縁起物であると昔から人々は初夢の存在を特別視してきました。
だからこそ時折夢日記をブログ内で吐き出している私もそんな縁起物を今回の記事で書き起こしたい――。
ブログ記事故に一方的な話となるため、皆さん自身がどんな初夢を見たのかを知ることができないのが大変口惜しいですが、今回見た初夢の内容をこの記事の場を借りて紹介していけたらなと思います。

そもそも初夢ってどのタイミングで見た夢を指すの?
初夢とは新しい年を迎えてから初めて見た夢のことを指しますが、一般的には2日の夜に見た夢を指すそうです。
年越しをして元日を迎えた後で眠れば初夢になるだろう――という理屈もわからんでもないですが、2日の夜に見たものが初夢になるという決まりには諸説あり、長い歴史を経た結果として今の定義となったようです。
だから1月1日の夜にいくら良い夢を見たところで世間的にはノーカンとみなされ、自暴自棄になりながら2日の夜に見る夢をいつも忘れてしまうのが常となってしまいがちだったり。
とは言え、このご時世では人は皆、夜に寝る人ばかりではありません。
正月に夜勤をし、初日の出が昇ってから日中に寝る人も少なくはないでしょう。
正月におせちを食べ、お神酒を飲んで酔っ払ってお笑い番組を見ながらこたつで眠りこける人もいるでしょう。
しかしそれでも1月2日の夜から見る夢を初夢と定義するのであれば――、一体それはどこから初夢だと線引きすればいいのでしょうか?
一応、前述では2日の夜と説明はしていますが、それはあくまで人が夜に寝るものだという前提での話。
今回私は寝正月として三が日の大半を爆睡しながら過ごしたので、2日の日中に昼寝をした際に見たものを初夢だと考えています。
一応、念の為として2日の夜に見た夢も記憶していますが、どちらが初夢であると決めるのは結局誰というわけでもなく、当人が初夢だと言い張るそれが初夢だと私はそう考えます。


初夢の内容は人に話してはいけない?
夢の内容を人に話してならない――そんな迷信を耳にしたことがある人も多いと思います。
縁起物である初夢……突飛な内容であれば尚更人に言いふらしたいものですが、前述に挙げた謎の迷信がその話題を阻んでしまいます。
――ならば何故人に話してはならない?
これもまた初夢の定義同様に諸説あります。
有名どころの理屈で言えば『話す』とは『離す・放す』ということ。
せっかく初夢に良い夢を見たというのに、言霊に変えてしまってはそんな縁起物を、運気を手放してしまうという考えからこの迷信が出来上がったと世間では言われています。
もちろん悪い夢を見たらその逆で、人に話すと良いらしいのですが――、私はそれらの話を聞いて常々疑問に思うのです。
縁起物がそんなマナー講習よろしく駄洒落で済まされて良いのか。
無論、この世の中には言葉遊びのような駄洒落から生まれた言い伝えや教えなどが多々あります。
先ほど私が話した通り、言霊と呼ばれる存在ももしかしたらありえるのかもしれません。
しかし、オカルトと呼ばれた超自然的な事象をそんな言葉遊びで済まして良いとは私自身到底思えないのです。
どうせなら良い夢だろうが悪い夢だろうが、話のネタにして笑い草にしてしまった方が現実的。
このご時世ならばSNSで夢の内容を語って『イイね!』を付けられたほうが目先の幸せを得られると考えます。
――で、あれば私はこのブログの中で夢の内容を皆さんに話す以外にないと。
夢の内容がどんなものであれ、それを話したところで一体どんな運命を辿ることとなるのか――この身を以て検証したいと思います。
また、今回の検証において予めアンケートを実施しました。
内容は『初夢を人に話すかどうか』。
実施場所は初夢を人に話すことを生きがいとする人々が多く住む別の世界線の中。
アンケート自体も『はい』のみの選択肢で絞ったものとなっております。

結果としては、その世界線での公用語は私どもが使用している言語と大きく異なるということから言葉が通じず、参加者全員が首を傾げたあとでアンケートに答えずその場を去るというものとなってしまいました。


散々屁理屈を並べて今回の記事に初夢の内容を書き起こしてやろうと考えておりますが、過去の実例を鑑みると迷信もあながち事実無根のものばかりではありません。
下記に挙げる事例は別の世界線で起きた初夢を発端とした出来事と言われているのですが、この出来事が本当に初夢の内容を他者に口外してしまったことが原因なのかは――正直なところ未だに不明とされております。
――正月を迎えてから特にすることもなく、仕事始めとなる4日までの間をただただ寝転ぶばかりで過ごしていた男は、あまりの退屈さから3日の昼の頃、ふと思いつきで親しい友人に連絡を取りました。
ぐうたらと過ごしていたこともあり、多少ばかりお酒が入っていたその電話口の会話は非常に弾み、話題は先日見た初夢に。
電話口の友人は「初夢なんて人に話すもんじゃない」と茶化したのですが、男はその年に見た夢があまりにも衝撃的で印象深かったということから、窘めようとする友人の言葉を遮って初夢の内容を話したのでした。
その内容は男にとって文字通り夢のような話。
理想とする全てがそこにあり、男は幸せの絶頂の中で新たな年の夢の世界を過ごしたのでした。
友人は電話口から若干羨ましそうな雰囲気を出しながら相槌をしていたのですが、やがて会話の熱も冷めてきたのか、適当なところで話を切り上げて男は電話を切りました。
――翌日、新年の宝くじの当選発表が行われました。
あれだけ良い初夢を見たものだからと男は購入した宝くじを強く握りしめたものでしたが、結局夢は夢でしかなく、それでいて何一つとして当たりくじも出なかったのでした。
仕事始めとなった一日が終わり、男は帰宅がてら気まぐれに友人に電話をかけたのですが、何度コールを鳴らそうにも繋がりません。
昨日はあれだけ話したからと少しばかり渋い顔をしながら画面を閉じ、男は家路へと就いたのですが、その矢先で急にポケットから着信音が鳴り響きました。
画面には友人の名前。折り返しの着信に男はすぐに通話ボタンを押しました。
親しい友人との他愛ない会話。「何の用だった?」と切り出す友人に男はスマンスマンと心無い謝罪を入れつつ、宝くじが外れた旨を切り出します。
折角の縁起物を人に話すから宝くじも外れたのだと冗談交じりに友人は笑いましたが、つなげて「こっちは宝くじ当たったけどね」とさり気なく言葉を返したのです。
男は全身の身の毛がよだちました。
自身が初夢を話したことで話した相手に幸福が移った……例えそれが何等の当選だったにしても、男にはその事実を信用する以外になく、思わず震えた声で「何等が当たったんだ?」と聞きました。
友人は少し黙ったあと、もったいぶったように「嘘でした」と言い放って大きく笑いました。
迷信は信じても天文学的確率は信用していない――そんな言葉で濁され、男からは思わず乾いた笑いが出ていました。
謎の安堵、そしてその後に襲う自己嫌悪――、男は親しい友人を祝うよりも先に初夢の尾を引き摺って妬む気持ちが前に出たことに思わず嫌気が差してしまいました。
「ただ……」電話口からボソリとこぼれた言葉に思わず耳を立てます。
「さっき自販機でジュースを買ったら当たったんだよね」
小さな幸福……友人の身に訪れたのはもしかしたら男が幸せな初夢を話した(放した)からかもしれない――。
果たしてこの因果が初夢によるものなのかどうなのか――それは神様にも知る術はありません。


で、結局定次さんが見た初夢ってどんな夢だったの?

うーん、実はまだ聞かされてないんですよね。

私に話させたら検証のくだりに矛盾ができるからって。

結局もったいぶってるじゃん。

行き当たりばったりで記事を書いているから、ディスカッションに入った時点で気付いたんでしょうね。
「あ、これじゃあキャラクター介して話してるじゃん」って。

ダメじゃん。

そう考えると我々の存在って個々のキャラクターが立ってるってことですよね。

嬉しい。

うん、嬉しい。

で、結局定次さんが見た初夢ってどんな夢だったの?

父親がふざけて口に含んだデンタルリンスを家族に吹きかける夢。

は?

因みに2日の夜に見た夢は雪道でハンドルがロックして事故りそうになったところをギリギリ回避する夢でした。

はぁ。

他人に話したところで・・・って感じですね。

つまんね。

