モーソーロンパ!!:浴場で絡んできた入れ墨の人


おはよう、皆の衆。定次さんです。
以前と比べて随分と通う頻度が少なくなりましたが、今も私は時折気分転換の一環として大衆浴場へと足を運んでいます。
その大衆浴場は全く辺鄙な場所にある――というほどでもありませんが、住宅街から少しばかり外れた場所に位置しており、常にお客さんが入ってはいるものの、基本的に混雑することのない、寂れた浴場になっています。
佇まいや設備自体もお世辞にも綺麗とは言えないもので、ロッカーは錆びてボロボロ。洗い場のシャワーは他の人が使った瞬間に急激に水圧が弱まり、夏場は脱衣所の窓が開きっぱなしになっているため駐車場から丸見え。また、以前投稿した記事でも紹介しましたが、壊れたトイレの鍵を直すのに半年かかるといったような、杜撰な営業をしている大衆浴場です。
【当時の記事はこちら】
しかしそんなオンボロ浴場にも趣はあるもので、先ほどにも話した通り、混雑していることがあまりないため人目を気にせずゆっくりとお湯に浸かることができます。
設備自体はボロいですが、清掃は月並みに行き届いているので比較的綺麗ではあります。
――ただ綺麗ではありますが、比較的ジジイの年配の入浴客が多いので、ところどころで痰を吐き捨てるような音が響くのが気になるところ。
それらの部分にさえ目を瞑れば、それなりに快適だと言えるであろう大衆浴場です。
いかんせんこんな大雑把な浴場なものですから、風呂場としてのルールも随分とズボラです。
公衆の面前で肌を露出するような温泉やスーパー銭湯、またはプールなどといった場所では基本的に入れ墨を入れた人は入場することができない場合が多いのは皆さんもご存知かとは思います。
多様性が認められつつある昨今ではありますが、やはり反社会的勢力の印象が強いため、どこの浴場でも入口や受付には『入れ墨お断り』の注意書きが掲げられている場合がほとんど。
もちろん今回の話にも挙げているオンボロ浴場も例外ではなく、これでもかというくらいに大きく注意書きとして看板がかけられています。
しかしこの注意書きもあくまで建前であって、実際には何一つとして機能を果たしておりません。
これまで何度も利用してきましたが、タトゥーが入っている利用客がいるのは当たり前で、何なら片側の肩の部分にガッツリとストリートアートのような入れ墨を入れた人も見かけました。
そもそものところ、従業員がほとんど浴室や脱衣所に入ってこないため、入れ墨を入れた人が利用していたところでそうそうわかるものではありません。トラブルが起きてからの通報でもない限りは無理な話でしょう。
そして実際問題、トラブルなんてそうそうあるわけでもありません。
日本人は何かと平穏に暮らしたい性分の人が多い。故にトラブルに巻き込まれたくないがために自ら関わろうとすることはないと思います。
入れ墨を入れている人も人間です。ただ見た目が怖いだけであって――、中身がどんな人であるのかは到底わかりません。
もしかしたら関わったら危ない人なのかもしれない――というシグナルが見えるだけの、ただの利用客なのです。
しかしそんなシグナルを出している入れ墨にも限度はあります。
趣味程度で入れているちょいワルなタトゥーならともかく、両肩から背中にかけて"倶利伽羅紋紋"のような入れ墨が入った人は流石に多様性という許容を大きく外れてしまっているのではないかと当時の私は思ったのです。
長いことスマホやパソコンといったディスプレイを眺める日常を過ごしていると、日に日に視力も弱くなってしまいます。
かつて私は2.0もの視力を誇示していた子供時代を過ごしていましたが、今では随分と目の前に霞んだ世界が広がってしまいました。
弱くなった視力を補うために眼鏡をかけて毎日を過ごしているわけですが、風呂場ではそうもいかず、湯気で一層霞んでしまった世界の中で温まらなければなりません。
とは言え、全く見えないと言うほど視力が悪いわけではなく、数字で言えば0.1〜0.3でしょうか。湯気でモヤの溜まった浴室内でも目を細めてみれば壁にかけられている時間くらいはわかる程度には視力を維持していたりします。
しかしある時、そんな細めた目線の先に見えたのが両肩が異様に黒っぽい、ダルマのようなガタイの利用客。
それが入れ墨であることに気が付くのに時間を要しませんでしたが、テレビの中でしか見たことがないような入れ墨が唐突に現れたものですから、私は思わず浴槽に浸かりながら驚いてしまいました。
私の視線に気付いたのか、ふとこちらに目を向けるダルマ。
咄嗟に目を背けたものの、この所作が露骨だったのか余計だったのか、視線の端からズカズカと気配がこちらに向かってきます。
3人が並んで座れる泡風呂の浴槽。一番泡立つ浴槽でゆっくりと座る私の横に豪快な吐息を荒らげてダルマはどっかりと腰を掛けました。
「今日の温度はちょうど良いよな」
話しかけられる予感はしていました。浴槽に浸かりながらも、ひしひしとそんな感じはしていました。
「な?」
黙りこくっている私に追い打ちをかけるように問いかけるダルマ。
とぼけたように周りを見るも誰もおらず、明らかに私に話しかけているという状況を呑み込まざるを得なくなってしまいました。
しかし予感こそしていたところで急に話しかけられても狼狽えるばかり……私とて平穏にお湯に浸かっていたかった。
とりあえずは「まぁそうですね」と適当な返事をしたものですが、私が反応したとわかるやいなや、ここぞとばかりにダルマは食い気味にふっかけてきたのです。
「さっきこっち見てたよな?」
目を合わせないのは良くないと思い、半ば顔が浸かるくらいまで風呂に深く入りながら横目で見たのですが、怒っているのか笑っているのかわからない、何とも読めない表情でこちらを凝視していました。
「こういった風呂場で――入れ墨って珍しいと思ったので」
下手なことは言えません。ただ思ったままを言葉にして、私は流すように返しました。
「怖いか?これが」
「……怖いと言うよりかは、すごいって感じですかね」
慎重に言葉を選びながら、それでいて適当に濁しながらただただこのやり取りが過ぎるのを待ち続けます。
やがてダルマは不敵に笑い、私の返事に気を良くしたのか、私の名前を聞いてきました。
「吉岡康弘です」
咄嗟に出てきた名は私の中のどこに閉まってあったのか……とりあえずはこの場でボロが出ないよう、この偽名を忘れないように必死に頭の中で反芻を繰り返しました。
「吉岡さんか。どの辺に住んでんの?」
話の流れとは言え、初対面でそこまで聞いてくるものだろうか?
どんな魂胆で聞いてきたのかはわかりませんが、流石に住所まで知られるとまずいと思い、私は少し勇気を振り絞って「急に住所聞かれるなんて怖くないです?」と答えました。
こんな返しをされるとは思っても見なかったのでしょう。ダルマは口をすぼめて少し黙りました。
「まぁ、それもそうか」
面白くなかったのか、それとももう満足したのか――ダルマはザバッと湯船から上がり、そのまま洗い場へと向かっていったのでした。
基本的に一人でオンボロ浴場に来る時、私は体を洗いません。
あくまで温かいお湯に浸かるのが目的。先程のダルマが一体何者だったのかはわかりませんが、十分に体が温まったと思い込んだ私はそそくさと風呂場を後にしました。
――帰りの道も気を付けました。
車を発進する際、車種とナンバーを見られなかったかどうか……。
私の住む地域はそれだけ小さい。一見栄えているように見えても、少し目を凝らせば知った顔と鉢合わせることが多いくらいには狭い。
だからこそ、いつどこでまた目をつけられるかもわからないよう、それだけ気を付けて私は家路に向けて車を出したのでした。
※この話は実際に体験した出来事に基づいた一部フィクションです※
どの部分がどの範囲までフィクションであるのか、ノンフィクションであるのかは閲覧している方の想像にお任せします。