【合法】『キレイなお金』を手に入れる方法


おはよう、皆の衆。定次さんです。
“時は金なり"とはよく言ったものですが――、私は私です。
私は別段"時"でも"金"でもありませんが、冒頭から唐突にA=Bといった突飛な比喩を持ち出されたものですから、そんなメタファーに巻き込まれないよう、予め自分は自分であると自分を強く持っていきたいと思います。
他人の姿が現金に見える特性を持った人が蔓延る別の世界線で、道行く人々に「あ、あの人お金だ!」と指さされる幼少期を過ごした――という記憶は生まれてこの方ありませんが、私は私であり続けたいと日々思う時がたまにある――と自らを見つめ直したいところから始めたいと思います、今回の記事でございます。
さて、何事も電子化が進む昨今ですが、今も尚、時代に逆行して現金での支払いに固執する人も世の中には少なくありません。
かく言う私も未だに現金での支払いを続ける古き良きアナログ人間なのですが、純粋に電子マネーに移り変わるタイミングを逃しただけの人間であって、いつかは電子化へとシフトしていこうかと思っていながら――その反面、現金を貯金箱に貯めていくことにも日々喜びを感じております。
世間では現金派は時代遅れだの、電子マネーは信用できないだのといった不毛な論争が繰り広げられている様子が日々散見されますが――私自身そんな極論はどうでもいいという前置きをした上で、今回の話を進めていきたいと思います。
深夜に食べる牛丼の魅力
健康的な食習慣を心がけるのも結構ですが、時には適当な理由を口実にして羽目を外すのも良いものです。
例えば――ハンバーガーショップで欲しいままに注文をするだとか、仕事帰りのスーパーでちょっと高級なお肉を買って一人で焼肉パーティーをするだとか……。
お風呂から上がって体がホカホカに温まったところ、ちょっと何だか小腹が空いたからと近所のコンビニにアイスクリームを買いに行くのも良いですし、台所の片隅に片付けておいたカップラーメンを取り出して、一人静かにダイニングで麺をすするのもたまらないと思います。
――食欲が掻き立てる咄嗟の衝動。
息苦しい食生活にマンネリを覚えることもあれば、時にはストレス発散のためにほんのひと時だけでも身を委ねるのも悪くはないかもしれません。
そして先日の私も咄嗟に牛丼が食べたいと思いつき、夜もすっかり更けてしまった時間帯から近所のすき家に行くことがありました。
――すき家と言えば例の事件。
私自身、昨今の不祥事の影響もあってか、つい先日まですき家に対して不衛生な印象が払拭しきれないまま過ごしてきました。
元々ヘビーユーザーと言うほどでもなかったのですが、いつしかメディアの情報に踊らされ、どうしても心の奥底に引っかかりを覚えてしまったことで、以前よりも満足にすき家へと足を運ぶ機会が減ってしまいました。
ただ、いつまでも過去の出来事を引き摺ったところで何の進展もありません。
どうせなら色々と選んで食べたい食の娯楽。選り好みしてしまってはその娯楽の幅を減らしてしまいかねない――という事態がどうしても自分の中で耐えられないと感じ、今回私はそんな自分の中に芽生えてしまった悪印象を払拭しようと思った上で、意を決して近所のすき家へと足を運んだのでした。
深夜の時間帯にコンビニに行くことはあっても、牛丼を食べに行くなんてことはこれまで生きてきた中であまり経験がありません。
深夜に空いた小腹を牛丼というヘビーな料理で埋め合わせるという行為には、度し難い背徳感と、形容しがたい未知の魅力がある――と薄々感じてこそいましたが、今回深夜に牛丼を食べようと思った動機は全く別で、深夜の牛丼屋さんで見られる世界を知ってみたかったという思いからでした。
そして私はそんなちょっぴり危険な好奇心を片手に部屋着のまま車を出したのでした。
深夜だからお客さんはきっと少ないだろう……私が想像する深夜の牛丼チェーン店というのは、がらんとした店内の中にくたびれたおっさんが1人か2人、虚無の表情でモソモソと中盛りの牛丼、もしくは牛皿定食を食べているというものでした。
誰ひとりいない店内で、部屋着のまま牛丼を食べるというのもきっと楽しいかも知れませんが、私はそんなくたびれたおっさんに紛れながら食べる牛丼も格別だろうと期待を抱きながら車を走らせました。
時計は深夜の1時を回ろうとしているところ。駐車場には1,2台の車が駐まっており、店内にはポツポツと人影が見えました。
私は既に駐まっている車の隣にゆっくりと頭から車を駐め、そしてそんな未知の世界へと足を踏み入れたのでした。
ただ、深夜に入ったすき家の店内にくたびれたおっさんは誰一人としていなかった――先入観から作り出されたイメージとは裏腹に、お店の中にいたのはこれ見よがしに座る3組の若いカップルでした。
部屋着のままふらっと入ってきた私がまるで場違いかのように、何ともむず痒い空気が店内一帯に漂います。
1組は入り口近くのカウンター席に座り、1組は窓際のテーブルに腰掛け、そしてもう1組は壁際の端っこで仲睦まじそうな雰囲気を醸し出しながら牛丼を乳繰り合っています。
カウンターと窓際のテーブルと壁際のテーブル……蜜月が織りなすトライアングルに囲まれたカウンター席。私はそのど真ん中にどっかりと座り、腕を組み、口をへの字に曲げながらねぎ玉牛丼を頼んだのでした。
初めて足を踏み入れた深夜の牛丼屋さん。
てっきり私は夜勤上がりで疲れ切ったおっさんたちにとっての憩いの場だと思っていたのですが――どうやら深夜の牛丼屋さんはオアシスなんかではなく、週末の夜にドライブデートを楽しむ若い男女のための休憩所だったようです。
私は眉間にシワを寄せながら、尚を口元をへの字に曲げて若干うつむき加減で牛丼の到着を待ちました。
間もなくして提供されるねぎ玉牛丼の中盛。
今回はおまけに追い青ネギのトッピングも足して"ネギねぎ玉牛丼"です。
目の前に置かれた青々とした深夜の食のカタルシス。
本来ならゆっくりと味わって、ご満悦の表情を浮かべながら食を進めるはずだったのですが――今宵の私は虚無の表情を見せながら山盛りになった青ネギをモシャモシャとかき込んで、深夜帯に食べる特別感というスパイスを特に感じることもないまま、そそくさと蜜月のトライアングルを後にすることとなったのでした。
世間が騒いだ悪いイメージを払拭できるかと思ってやってきたすき家の牛丼。
牛丼自体は美味しくいただけたはずなのですが、私はどことなくもやもやとした気持ちを抱いたまま帰路へと就くこととなりました。
自分の中で勝手に思い描いていた『くたびれた深夜の牛丼屋』というものは一体どこにいってしまったのか。
私は虚無の表情を浮かべたまま、せめて口直しにと道中にあるコンビニへと立ち寄ったのでした。
客の少なくなった深夜のコンビニはどことなく空気がひんやりとしていて心地が良い。
妙な苛立ちに火照らせた体を冷やしながら、私はちょこっと食べられる程度のサラダでも食べたいなと思って冷蔵棚を物色したのですが――そこでふと横を見ると、つい先程まですき家にいたカップルが仲睦まじそうに商品を選んでいるのが目に入りました。
先程まで同じ空間にいた人間だというのに、この空気の違いはなんだろうか。
チラチラと気にしながら買い物をする私がまるで眼中にないかのような雰囲気で深夜のコンビニを満喫するカップル。
人間性に勝つだの負けるだのといった優劣を付ける必要性はまるでないとは思いますが――遂に耐えかねた私は、そそくさとコンビニを後にしたのでした。
――家に帰り、気を紛らわせようとムシャムシャと食べるコンビニのちょっとお高いサラダ。
今となってはどんな味がしていたのかまるで記憶にありません。

知られざるセルフレジの穴
日頃から様々な場面で使うお金。
電子決済が普及しつつある現在ですが、やはり現金にはそれなりの魅力があると常々実感させられます。
例えそれが札束だろうと、小銭だろうと……いつだって人は正しく、キレイなお金には目がないものです。
どうせ価値が一緒なら、新しくてキレイなお金の方が持っていて嬉しい――。
閲覧者の皆さんも、返ってきたお釣りが新しかったという理由でちょっとした感動を覚えたなんて経験をしたことはないでしょうか。
どうせいつだってお金に貪欲な皆さんのことです。どんなに汚らしい硬貨であっても、手にするだけでバカみたいに喜ぶような姿が目に見えます。
ただ、そんな安直な皆さんにとっても、やはり製造年の新しい硬貨を手にした時の方がどことない特別感を覚える人も多いはずだと――私は今こうして記事を書きながら思っています。
そしてそんなことを言い張る私も新しいお金は好きです。
小汚い硬貨よりもピカピカとしたお金の方が心が踊りますし、子供の頃には科学の教材に掲載されていた『10円玉とお酢を使った実験』のコラムをいつも目を輝かせながら読んでいたものでした。
そして大人になった今もそう。
比較的新しい硬貨がお釣りとして出てくる時はちょっと胸が踊りますし、コンビニの会計の時にかわいい店員さんから優しくお釣りを手渡された時なんかはちょっとドキッとします。
そしてそのお釣りの10円玉が青サビで汚れていた時なんかは打って変わって非常にがっかりするものです。
手にして嬉しいキレイなお金。
今回の記事ではそんなちょっとした高揚感を簡単に得られるライフハックを紹介していきたいと思います。

これはあくまで私の体験談となるのですが――先日とあるスーパーで買い物をした時のこと、私はお釣りをキリの良い金額にしようと、いくらか多めにセルフレジへと投入しました。
しかしながら、どういうわけかセルフレジは投入した金額を正しく読み取らず、表示された画面を見ると1円だけ足りていない様子……。
仕方がないと私は更に1円を追加し、足りなかった分を補填したつもりだったのですが――これまたセルフレジはポンコツで、先程読み込まなかった1円の分もまとめて読み込み始め、最終的にキリの良い金額に1円プラスされた形でお釣りが返ってくることとなりました。
たかが1円。されど1円。
別段、私は1円というお金を軽んじているわけではありませんでしたが、元々キリ良くお釣りを返してもらうつもりだったということもあって、想定外の金額が返ってきたという事態に何とも言えない苛つきを覚えました。
返却口から返ってきた小銭を心なしか乱暴に取り出し、財布の中へとしまいます。
ただ、この時にちらっと見えた1円玉……私はこの1円玉が投入した1円玉よりもどことなく新しく、キレイだったことに気が付きました。
これはもしや……?
入れたお金が余計であっても、それがそのままお釣りとして返ってくるわけではない。
私はサッカー台で購入した商品をマイバッグに詰め込みながら、その光景を反芻していたのですが――そこでとあることを閃いたのでした。

セルフレジに通したお金がお釣りとなって返ってくる時、投入したお金が別のものにすり替わっていることを発見した今回の出来事。
このことから私はセルフレジの中で行われている処理がどういったものであるか着目し、そしてとある仮説を立てました。
『セルフレジの中では時空間に歪みができている』
仮に98円の買い物をして、その支払いに100円玉を入れたとしましょう。
この場合、100円に対して2円がお釣りとなって出てくるので、セルフレジは投入された100円玉をわざわざ購入者に返却する必要はありません。よってこのケースでは別にストックしておいた1円玉を2枚だけお釣りとして返せばいいだけだというのがわかります。
ただ、今回のように1円玉が余計に投入された場合、わざわざストックしておいた1円玉を代わりに出す必要性はありません。
投入されたお金をそのまま流用して返金したほうが手間も省けるのではないかと私は考えるので、もしかしたらこれは1円玉をセルフレジ内でタイムスリップさせ、製造年を新しくした状態でお釣りを返しているのではないかという可能性が浮上したのです。
つまるところ、今回のように1円玉が新しくなって返ってきたというのは、セルフレジ内で投入した1円玉が時間軸を超越してから出てきた可能性があるということ。
正直なところ、私自身はこういった機器に詳しいわけでもないので内部がどういった仕組みで時間軸を歪めているのかはわかりかねます。
故にお釣りとなって出てくるお金は必ずしも新しくキレイになって返ってくるばかりではなく、古く、汚い状態で出てくる可能性も十分にありえるわけです。
恐らくこのランダム性は今回のような機密事項に気付いてしまった私みたいな輩が悪用しないよう、予め設定しているものであると考えられるのですが――ただ、現状考えられる中で言えることは、なるべく古いお金を入れればある程度新しくなってから出てくる可能性が非常に高いということです。
傍から見ればきっと今回の私の考察は支離滅裂すぎて信憑性がないと笑う人も多いでしょう。
しかしながら、過去に別の世界線で見つかった壁画を参照すると、時空間を利用した精算システムの仮説もあながち的外れではないように思います。



今回のライフハックは悪用されたら非常に大変かもしれませんね。

どこが?

ことと場合によってはお金の価値が大きく変わってしまう可能性があるじゃないですか。

どこが?

わかりました。
そんなに疑うなら、今回私が持っているとっておきの古銭で実践してみせましょう。

どうぞ。

セルフレジにこのお金を入れてっと・・・。

チャリーン
ッカラン

チャリーン
ッカラン

このセルフレジのセンサーは反応が鈍いポンコツですね。

チャリーン
ッカラン

チャリーン
ッカラン

チャリーン


戻ってこなくなってしまいました。

でしょうね。