【ひと手間はおいしい】冷やしトマトを食べようの巻
おはよう、皆の衆。定次さんです。
8月いっぱい夏休みを謳歌して、9月1日が憂鬱になっていた子供時代は一体いつのことだったでしょうか。
一昔と比べて暑い気候は続くようになりましたが、暦上は早9月。"エンドレスサマー"だの"エンドレスエイト"とはよく言ったものですが、無常にもカレンダーは日を追うごとにパラパラと捲れていくものです。
いつまでもこの夏の時期を楽しんでいたい――そんな想いを抱く閲覧者の方も少なくはないとは思われますが、自分の中で夏の季節を終わらせたくないのであれば、カレンダーを捲らないようにいつまでも自分の世界に閉じこもって抗い続けることがオススメです。
しかし、そうしている間にも世間は日々変わり行くもの――。気になるあの子はこの夏成就した恋を実らせ結婚し、周りの友人も皆新たなことに挑戦するために大きな一歩を踏み出しているでしょう。夏のトウモロコシは収穫を終え、塩の入った氷水に浮かばせた赤いトマトはキンキンに冷えています。
この夏はいつまでも続きません。いくら残暑が厳しかろうとも季節は秋です。諦めなさい。
部屋の扉を開けて台所に向かえば冷えたトマトがあるかもしれませんが――、既に熟れて真っ赤なその実もいつまでも新鮮さを保持することはないでしょう。
『トマトチャンス』
これはかの有名な――、一部地域では人当たりが良いとして有名だったトマト農家の方が読んだ中にあるトマト専門雑誌の表紙を飾っていたキャッチコピーと思われる文言なのですが、今回の記事ではこのトマトチャンスというフレーズは特にキーワードとして使われる予定はありません。
つまるところ、冷やしトマトが美味しいか否かということについてお話を広げていきたいのが今回のテーマになります。
しかしながら、記事の書き出しとなる前置きの段階であまりトマトのことばかり言及しても他の野菜農家の方からしたら面白くないでしょう。
よって、トマトの話はさておき、先日いただきもののトウモロコシを食べた時に起きた出来事をベースに考えた、9割方フィクションとなるお話から進めていこうと思います、今回の記事でございます。
トウモロコシの取り分け方
皆さんも一度は食べたことがあるであろうトウモロコシ。一見野菜として見られがちですが、実は世界的に見ると穀物の一種だったりします。
日本では未成熟で食べられるように改良したスイートコーンが多く出回っているため、基本的には野菜として分類されているのですが、実際問題、ポロポロとこぼれる実を加工なり何なりして食べることが多いわけですから、穀物と聞いて納得するのは当然の話でしょう。
しかしながら、今回私が食べたのはスイートコーンを加熱したもの。
レンジでチンなり、フライパンで醤油ダレを絡めて火を通したりして食べたものですから、今ここで世界の常識を押し付けられたところでどうしようもありません。
仮に私が自室で動画サイトを見ながら焼きトウモロコシにかぶりついていたとして、そこに世界の常識に囚われてしまった悲しき外国人が3人ほどやってきたとしましょう。
彼らはトウモロコシにかぶりつく私の姿を見て信じられないと言ったような面持ちとなり、直後こちらに指をさして「تعتبر الذرة حبة.」と言ってくるのですが、通じない言葉を言われたところで私はその意味を理解できません。
とりあえずテーブルを囲むように座るように促し、新しくトウモロコシが焼き上がるまで動画サイトを見ながら大人しく待たせておくわけですが、その間に隙を見て警察に通報して引き取ってもらうよう行動します。
彼らはテレビに映ったアザラシたちを見て穏やかに談笑しているように見受けられます。
しばらくして警察が到着。引き渡す際に彼らは何かを必死に訴えているようでしたが、勝手に人に家に入り込んできた方が悪いのです。私は焼き上がったトウモロコシを貪り食べつつ、閉まった玄関の前で立ち尽くすのでした。
――唐突なことに心臓の拍動が止まらない。
警察に引き渡したことで、後日彼らから報復を受けないだろうかと嫌な想像がかきたてられます。
踏み荒らされた靴の上にボロボロとこぼれ落ちるトウモロコシ。その味はどんな味だったか全く印象に残っていません。
「本当は彼らもトウモロコシを食べたかったのではないだろうか?」
急な平和主義的な考えを過ぎらせることで我に返るのですが、焼き上がった3本のトウモロコシをどう取り分けるべきだったか静かな部屋の中で考えます。
2本は自分が食べるとして、残る1本をどう分けるべきか……とりあえず3等分にする必要があるのだと思うのですが、如何せん私はトウモロコシに包丁を入れた経験がありません。
ひとまず家にある中で一番大きな鉄の包丁を取り出し、芯ごと切るべきだと刃を入れるのですが――包丁が切れないのか、将又、トウモロコシの芯が硬いのかなかなか切れません。
ぐるりと周りを一周する形で刃を入れたところで私は諦めました。これ以上包丁を押し付けたらきっと包丁の方がダメになってしまうだろう――そう思って切り込みだけが入ったトウモロコシを力任せに折るようにシフトを変えたのです。
するとどうでしょうか。綺麗にパキっと折れたのです。
包丁で切れ目を入れたところと全く関係のない場所が綺麗にパキっと折れたのです。
力任せに折られたトウモロコシは3等分とはいかないものの、歪ながらも3つに分けることができました。
もし部屋の中に彼らがまだ残って大人しく動画を見ていたのであればこの3つに分けられたトウモロコシを渡すことができたのかもしれませんが――、彼らはもうこの部屋には残っていません。
ふと渡したトウモロコシを取り合いになる光景が目に浮かんできます。
そして謎に切れ込みが入ったトウモロコシを指さし、こちらに対して疑問を投げかける姿も目に浮かびます……。
――少しもさみしい気持ちはありません。
むしろ何事もなかったことに喜ぶべきでしょう。
私はトウモロコシにかぶりつきながら、家の施錠はしっかりするべきだと自身に言い聞かせ、汚れてしまった玄関を掃除したのでした。
この話がフィクションなのはわかりますけど、明らかに嘘だって部分がありますよね。
どこです?
定次さんがトウモロコシをたくさん食べようとするところ。
定次さんって食べにくかったり、汚れやすい食べ物は好んで食べないみたいなんですよね。
だからトウモロコシも1本食べたら満足すると思うんです。
あ、そう。
で、9割方フィクションって話ですけど、1割部分ってどこです?
トウモロコシに包丁が入らなかった部分だそうで。
切れ込みが入っただけのトウモロコシが非常に滑稽だったって話です。
あ、そう。
ところで、トマトの話が全然出てこないのですが。
あぁ、まだ氷水に入れて冷やしてありますよ。
氷水には塩も混ぜてあるので一層冷えているかと。
さっさと食え、トマトを。
冷たくておいしい。
ナイストマトチャンス。