【素朴な疑問ノート】野生に住む鳥は本当に今の巣で満足しているのか?


おはよう、皆の衆。定次さんです。
先日、とある田舎道を走っている際に鳥の巣を一つ見かけました。
真っ直ぐと伸びる道路に沿うように、延々と植えられた街路樹。
時期は既に5月にしろ、北の大地ということもあって新芽はまだ出ず、道路にまっすぐ並ぶ枝葉は未だに寂しさを孕んだ様子を見せていました。
これからこの枝が一気に緑を付けるんだろうな――なんて風情の利いたことを微塵も思うこともなく、ただ漠然と並木を眺めていたのですが、ふと絡み合う枝木の中にタワシのようなゴワゴワとした塊が混ざっているのを見つけました。
私はこれまで鳥の巣というものをまじまじと見たことがなかったのですが――ただそれをパッと見た瞬間、それが鳥の巣だと理解しました。
本やテレビの世界でならどれだけでも見かけた鳥の巣。
現実で見かける鳥の巣も本当に枝をかき集めただけのシンプルな作りなのだと私は驚かされました。
走る車窓から見かけたものだったので、目にしたのはほんの一瞬だけだったのですが、その一瞬だけでも私の目にはそのステレオタイプの鳥の巣を十分に目に焼き付けることができました。
この齢になって新たに感じた経験。少しばかり感慨深い気持ちになったのでした。
これまでの人生、実際の鳥の巣を見たことがなかった――と思えるのは、単に見かけたことがなかったからというわけではなく、純粋に興味が湧かなかったからというのが正しいでしょう。
意識を向けにくい場所に巣を作るという、生物的本能からくる知恵というものも要因としてあるのかもしれませんが、実際問題、一度意識をし始めたら同じ街路樹の並びにいくつも鳥の巣があるのがわかりました。
何も取って食おうというわけではないのですが――こうしてまじまじと見て考えてみると、鳥もまた人間様の知能の高さには劣るものだなとほくそ笑んでしまいます。
そこにもある。あ、またあそこにも巣がある――後部座席に揺られながらじっくりと通り過ぎていく並木を眺めていたのですが、やがてはその単調さにマンネリを覚えるようになりました。
単純に他に何も見るものがないからと延々と流れていく並木をただただ眺めるしかなかったのですが、新しい経験を目にしたところで何一つとして変わり映えするものはありません。
軽くため息をつき、どっかりと背もたれにもたれかかろうとする頃、ふと目に飛び込んできた光景に吹き飛ぶマンネリ。
――逆光に照らされたタワシの中からひょっこりと頭のようなものが出ている巣がそこにありました。
親鳥が巣から顔を出している!
車窓から一瞬だけ見えた明らかな鳥の頭。下から眺めるばかりの視覚からではなかなか見られないであろうレアな光景に思わず私は跳ねるように体を起こしました。
張り付くように窓に顔を向け、雄々しくも何ともない、顔だけひょっこりのぞかせた逆光で真っ黒な鳥のシルエットを私は目に焼き付けたのでした。
一瞬だけ現れたレアな光景。
それを見て思わず高揚をした私でしたが、そこでふととある疑問が頭の中をよぎりました。
――野生に住む鳥たちは、簡素な作りの巣での生活に満足ができているのだろうか?
近年問題視される空き家の増加。
一時期に劇的に増えた人口の層が一気に減少し、地方の過疎化などの要因も含めて最近ではどこの地域でも空き家が目立ちます。
住民だけがいなくなった建築物……自然の摂理に逆らって建てられた人工物ということもあり、日々荒んでいくその様を見ると諸行無常を実感させられます。
理想を言うならば、今を生きる人々に明け渡し、分散するように分け与えることができれば――と考えるところですが、残念ながら人の世の摂理はそんなに単純なものではありません。
資産、権利……様々な要因が絡むことで人が人のために建てた家に住むことができないのが常だったりします。
――であれば、そんな家に鳥が住みたいと思うことはないのだろうか?
土臭い粗末な作りの"巣"という家に住んでいるくらいなら、鳥は人が建てた豪奢な建物に住みたいと考えないのでしょうか。
住民票を登録しろと言った人並みの知能を持てと言うわけではありません。
どうせ人の生きる社会の範疇から外れた生物のことです。勝手に住み着くなんて考えは起きないものなのだろうかと、どうせなら今住んでいるところよりももっと良いところに住みたいという高望みはしないのかと、といった疑問がふと私の中で湧いて出たのでした。
別段、鳥に限った話ではありません。
この世界には鳥と同じく、自然の中で粗末な巣を作って暮らす野生動物が腐るほどいます。
DIYが流行っている昨今、自分で作った巣で暮らす生活にはそれなりの執着があるでしょう。
しかしながら人間が作った建物の方がよっぽど暮らしやすいと私は思うのです。
家によっては外敵から身を守るためのセキュリティが充実している建物もありますし、強い風雨にも耐える強度を保ったままの家もあります。
申請、登録さえすれば水や電気も使えますし、ネット回線も繋がります。運が良ければ近隣住民にも恵まれるでしょう。
そんな理想の建物がたくさんあるというのに、わざわざ木の上に作った粗末な巣の中で暮らす理由がどこにあるというのでしょうか。
――やがて途切れ、通り過ぎていく並木道。
リアガラスの向こうに遠く消えていく粗末な巣を眺めながら、私はそんな人間のエゴを考えたのでした。



ちょっと言いたいことが山ほどあるのですが。

何でしょうかね。

とりあえず常識的な話はさておき、仮に近所の空き家に野鳥が住み着いたとしましょう。

引っ越してきたと言ったほうが適切ですかね。

うぜぇなぁ。

・・・して、引っ越してきたところでどんな風に感じますか?

どんな・・・と言うと?

あ、ご近所さん引っ越してきたんだぁって思うんじゃないですかね。

あ、そんな世界観なんですね。

じゃあ、その引っ越してきた建物があなたの所有物であったらどうしますか?

追い払うんじゃないですかね。

ほら、シッシッって。ほうきで。

ほら、結局は人間社会のエゴじゃないですか。

所詮は鳥ですからね。人間のために建てた家に住めるはずがない。

霞に千鳥とはまさにこのこと。結局鳥は鳥の巣で暮らすのが一番なんですよ。

うーん、うん。まぁそうですね。
そういうことにしておきましょう。

ね。




















【定次さん】





