臭いサバの調理法。 〜くせぇサバと闘いてぇ〜


おはよう、皆の衆。定次さんです。
先日、私は冷凍サバの購入に失敗をし、焼き上げたサバを食べないまま逃避行に走るという決断を下しましたが、結果として焼き上げた臭いサバは冷蔵庫の中でただただ冷えるばかりの待ちぼうけ状態となり、誰からも食べられることなく臭いにおいを出しながらこの世界に存在し続けていました。
【前回の記事はこちら】
青魚が一定数の人に好かれていないという事実を実感したところで、改めて冷蔵庫の中の臭いサバに向き合う必要性があったのですが、この時点で私がサバに凝りて新たにコスパの良い健康食を探し始めたのどうか――というのは今住む世界線では考えられないものであって、論外。
別の世界線に存在する臭いサバを崇め奉る新興宗教――、かつて私はそんな新興宗教が存在していることを知らず、臭いサバの身を"そういったもの"として認識しながら満面の笑顔で食していました。
臭いサバを崇め奉る新興宗教は、日頃からスーパーでサバを購入する人々を尾行することによって独自のサバの市場調査を行っていたのですが、いつぞやそんな尾行調査が警察から咎められることとなり、結果、世俗からカルトだと罵られるようになりました。
地方都市の住宅街の中にひっそりと佇む一軒家を本山としたサバカルトは、日々嫌がらせのように郵送されてくる豚肉と迷惑電話に困惑しながら、毎日のように小さな庭先で豚肉を有効利用したバーベキューを開催していました。
参加は自由。希望があれば余っている豚肉の持ち帰りも可能だそうです。
私はそんなイベントが日々催されていることを知らず、無垢なまま大人へと成長し、やがて今の世界線へと移り住んできたのですが、最近では豚肉の高騰に頭を悩ませて、尚もコスパの良いサバの購入を続けています。
スーパーに立ち寄る度に増えていく我が家の冷凍サバ。
先日は冷凍された半身がバラ売りでされていたため、まとめて袋に入れずに一つ丁寧にビニール袋に小分けにして購入しました。
これにより余計な分の解凍を防ぐことができ、コンスタントに冷凍サバを食べることが可能となりました。
先日の冷凍サバが臭くなってしまった要因の一つは過剰な解凍にもあると私は踏んでいます。
今回のように一つ一つ食べる分だけ解凍をするのであれば、冷凍サバもきっと美味しくいただける――そう考えて、私は尚も冷凍サバの購入を続けるようになりました。
今では我が家の冷凍庫には冷凍サバと冷凍餃子、業務スーパーで購入した大量の乱切り冷凍ナス、次のゴミの日に捨てる予定の生ゴミが敷き詰められています。因みに生ゴミは衛生面を考慮してきちんと何重にも包んであるので心配はいりません。
これだけ備えがあれば、唐突にこの世界が滅ぼうとしてもしばらくは食料に困ることはない――そう慢心しながら順々に腐らせてしまうことは間違いありません。
世の中には好んでサバイバルの環境に身を投じる人がいるものですが、やはり人は人が作り出した恵まれた環境下で生きるのがベストであると考え、今を生きていきたいと思いながら書き進めていきます、今回の記事でございます。
ChatGPTであそんでみよう!
SNSを含んだウェブ上のみならず、巷でも随分と目にするようになったAIというフレーズ。
AIという定義は広く、昔から様々な分野で多く活用されてきましたが、アシスタントや自動生成的な機能として表立つようになったのはつい最近のことのように感じます。
今や様々な種類のAIチャットボットが普及しているご時世ですが、その代表格であるChatGPTはこの下衆と皮肉でもそれなりに活用中。
タイトル画像やイラスト、文章の生成――こそ私自身のオリジナルで作り上げていますが、運営方針のサポートやAI絵画シリーズ、英語で歌おう!シリーズといった運用などを主として活用しています。
また、ブログ以外の運用として、ちょっとした気になる知識やイラストの評価などにも活用しており、忖度無しの品評でより精度の高い方向性を導き出してもらっています。
しかしながら、いくら精度が上がったとは言え、必ずしも正しい情報が得られるわけでもないのがAI。
品評自体もある程度の条件を指示をしなければ肯定するだけのツールとなってしまうので、運用の仕方については人によって良し悪しがあるといえるのが現状でしょう。
ただ、いくらでも(利用プランによって上限あり)問いかけができる以上、コミュニケーションや探求に飢えている人にとっては知識の泉であって、どれだけでも活用したくなってしまうのが実情です。
昨今のAIチャットボットの強みは何と言っても学習機能。
自身が与えた条件を飲み込み、可能な範囲で最適な情報を出力してくれるのが魅力です。
上述では私もイラストの評価や文章の校正に活用している――とは説明しましたが、最近では試したいことも徐々に増えてきました。
試したいこと……それは『下衆と皮肉の文体を模して文章を作ること』。
基本、私はオリジナルの文章を私自身で書き出して校正まで全て行います。
そしてその文章の言い回しは非常に個性的であり、これまで長年培ってきた財産であると自負しています。
よって、AIに学習させてしまうというのはパンドラの箱を開けるような一つの禁忌とも言えると考えられ、あまり実践に移したくはなかったのですが――つい先日、興味本位で例文を学習させた上で簡単な文章の出力をお願いしてみたのでした。
学習内容は私が書いた直近記事の文章そのもの。
そして下衆と皮肉というブログの存在を補足に加え、1000文字程度の文章を『玉子焼き』というテーマで出力させます。
出力結果次第では今後の記事の運用にも使えなくもないかも――と邪な考えを練りながら待って出来上がったその結果……。

玉子焼きは人生の副産物である
朝、目覚めると両腕が明らかに"卵を巻くには向いていない"角度で枕の下に折れ込んでいた。
体の一部が、何かしらの社会的責任を放棄するように痺れているのは、まあいつものことだが、こと腕に関しては不自由だと一日がめんどくさい。
腕が動かないと何が困るかというと、玉子焼きが作れない。
そして玉子焼きが作れないと、人はだいたい社会と絶縁し始める。そういう因果関係がある。
昔、玉子焼きを巻くのがうまい母親に「なんでそんなにキレイに巻けるの?」と聞いたら、
「これはね、怒りを巻いてるのよ」と言われた。
母親が怒っていた理由については、まあ家庭内での私の存在感とか、朝の洗濯機の扱い方とか、味の素の減りが早いこととか、色々思い当たる節がありすぎて特定できないが、あれ以来私は玉子焼きの層に怒りのグラデーションを見るようになった。
ちなみに私は甘い玉子焼き派である。これは育った家庭環境による刷り込みであり、
卵に砂糖を入れることに罪悪感を持たない人間は、大体人生の本質にも砂糖をかけて誤魔化すタイプだと思う。
一方で、だし巻き派の人間は、味の中に余白と苦味を好む冷静な現実主義者であり、
おそらく人前で泣いたりしない。
泣くのはトイレ。もしくは牛丼屋のカウンターの一番端。
玉子焼きを作る時、なぜか人は「ちゃんとしよう」という気持ちになる。
フライパンに油を敷くときも、卵をこすときも、巻きながら「この一層一層が人生の積み重ね」とか思ってしまう。
だけど、その巻いた層の真ん中に、なぜか一粒だけ焦げた米粒が入ってたりする。
誰が入れたんだ。いつ混入したんだ。なぜそこに?
でもそれが、自分の人生そのものなんだろうなって、思ったりもする。
自分ではきれいに巻いたつもりでも、ところどころ焦げたり、はみ出したりしていて、
それでも形にして、口に運ぶ。
さて、そんな哲学的な朝を過ごしていたら、肝心の玉子焼きは冷めたし、腕も痺れたままだし、
結局パンをかじって出勤することになった。
人生なんてだいたい、そんなもんだ。
……私の文章ってこんなにも壊れていただろうか?
実際問題、学習させるにあたって与えた材料は非常に乏しいものでしたが、この結果から見て、AIが私の文章をとてつもないカオスな文章として認識しているのがわかりました。
今後は学習を繰り返していくことで、以前までの私の文章に限りないものを作り出すことが可能になるとは思います。
そしてタイトルイラストに関してもわざわざ長時間を割いて作り出す必要性もなくなると思われます。
しかしそんなことをしてしまっては私自身の成長に繋がらないですし、下衆と皮肉自体のオリジナリティも徐々に潰れてしまうことが懸念されるでしょう。
模倣はあくまでお遊びで済ませるレベル。
AIの進化に関心を寄せつつ、今後もオリジナリティあるブログ記事を展開していこうと思った一件でした。

臭いサバを調理してでも、避けておきたいフードロス
ChatGPTにかまけるのも結構ですが、問題は目の前に置かれている臭いサバ。
前回はラーメンを食べに行くという逃避行に走ったことでその場を凌いだつもりでしたが、冷蔵庫に置かれたままのサバは、冷蔵庫の冷気に当てられて尚、臭いを増して脱臭炭の中身をぐんぐんと削っていきました。
このままではきっと食べ物を破棄してしまう――。
世間で何かと議論になっているフードロス問題。食料飽和時代ながらも私としては一片の米粒も無駄にしたくはありません。
いくら臭いからとサバを投げ捨ててしまっては、サバを獲った猟師さんや加工業者さん、世界的にも飢餓に苦しむ人々に顔向けする――気は毛頭ないですが、多分顔向けができません。
で、あれば如何にして美味しく調理をするべきか――。
一度は現実から目を背けた私でしたが、意を決して冷たくなった臭いサバを俎上へと取り出したのでした。

皆さんは"鯖の味噌煮"という料理をご存知でしょうか。
恐らくは大半の方々が周知していて、それでいてこれまで一度は食した経験があると思います。
鯖の味噌煮はサバ料理の代表格。足が早く、腐りやすい青魚を風味の強い味噌や生姜を使用することで誤魔化す美味しくいただくことができる人気の料理です。
私はそんな味噌の力に頼ろうと、今回思い切って自前の特性味噌ソースを作りました。
冷凍庫に保存してある冷凍の乱切りナスをフライパンにぶちまけ、ナスが柔らかくなったところでオイル漬けの刻みニンニク、臭い焼きサバ、特性味噌ソースを入れて盛大に炒めます。
鯖の味噌煮――とまではいきませんでしたが、こうして出来上がったのが『臭いサバをふんだんに使用した特性なす味噌炒め』。
いくらサバが臭いとは言え、ここまで味付けを濃くしておけば青魚に苦手意識を持つ人にも、ナスに苦手意識を持つ人にも、きっと無理やり食べさせられることができるはずです。


何事も臭いものに蓋をするのは鉄則。今宵の私は臭いサバに思い切り濃い味噌ソースを絡めました。
一見すれば一種の中華料理のように濃い見た目。道行く他人に見せつけたらきっと怪訝そうな顔をして足早に立ち去られることでしょう。
これだけ手間ひまかけて臭いサバをリニューアルしたのです。
元の素材が酷いので、決して美味しい――と感想を持てるまで昇華させるのは難しいとは思いますが、きっと不味いと思える要素は確実に薄められたに違いありません。
――私自身、既にこの食事自体を過去の出来事として記事に書き記しているのでどんな結末を迎えているのかわかっているのですが、折角ポジティブに物事が運んだということから、今回のなす味噌炒めの出来についてまずは別の世界線でアンケート調査を取ることに決めました。
なす味噌炒めが美味しくなったかどうかは置いておき、まずはそのアンケートの結果を公開したいと思います。
■別世界線で実施する大規模アンケート調査!臭いサバを使ったなす味噌炒めの出来栄えはどうだった?
今回アンケートを実施したのは別の世界線においてなす味噌炒めが郷土料理となっているサバの名産地。
私は臭いサバを使った今回のなす味噌炒めを食べきった後日に、そんな地域へと足を運んで道行く人々になす味噌炒めの出来について、口頭でアンケートを取ってみました。

アンケートを実施した地域の人々は今回の内容に非常に関心を持ち、積極的に私の質問に答えようとしてくれたのですが、如何せん私自身が説明下手で要領を掴むことが出来ず、口頭だけでのアンケートだったこともあって、大半の人々から理解を得ることが出来ないまま何一つとして有効な結果を得ずに終了することとなりました。

なす味噌炒めが郷土料理であって、いくらサバに心得があり、プロフェッショナルとしての自負を持って関心を寄せてくれていたとしても、アンケートの内容を理解できなければ意味がありません。
今回のアンケート結果は参加者の理解不足が要因で失敗に終わるという非常に残念な結果となってしまいましたが、なす味噌炒めの味は私自身の舌と記憶に残っているため、アンケート自体実施する必要はなかったのではないかと改めて思いました。



・・・で、結局なす味噌炒めは美味しくできたんですか?


臭くてまずかったそうです。

は?

結局サバは臭いまま。
味噌だろうが何だろうが誤魔化しようがなかったみたいですね。

ダメじゃん。

でもまぁ全部食べきったみたいですし、フードロスも回避できて良かったでしょう。

捨てずにちゃんと全部食べたのは偉いですね。

とは言え、まだこのシリーズは続くんですけどね。

は?

コスパが良いからと買い溜めした分がまだ残っているそうです。

サバの臭いを消すという根本的な目的も達成していませんからね。

そういえばそうでしたね。

次回最終回。しっかり美味しく調理ができていると良いですね。

アフィリエイトリンクには美味しいと評判のサバを貼っておきます。
閲覧者の皆さんは失敗しないよう、美味しいサバを食べてください。























【定次さん】





