【貧乏飯】牛脂丼って知ってるか?【バズレシピ】


おはよう、皆の衆。定次さんです。
今宵は年の瀬、来る明日は大晦日。いよいよ2025年もフィナーレを迎える今日この頃。
慌ただしく駆け回る世間は皆が皆、年末年始という呪いめいた慣習に縋ろうとスーパーで縁起物、贅沢品を買い漁っております。
高みの物見からそんな慌ただしい世俗を眺めるつもりの私は、こうして物悲しくPCのキーボードを叩きながら休日を過ごしているわけですが、キッチンに置かれたワゴン台の上を見たところ、如何せん米びつの中が残り少なくなってきておりましたので、おもむろに物見から降りて急遽米を買いに出かけたのでございました。
現在日時は2025年12月30日の18時過ぎ。
あれほどまでに騒がれていた米騒動ですが、皆ぶつくさ文句を立ち込めながらも消費者の立場として「仕方なし」の精神でなぁなぁになりつつあり、結局以前よりも水準が上ずれした状態で平穏を取り戻しつつあります。
大晦日まで営業しているスーパーにでも足を運べば、家のお米が多少ばかり少なくとも何とかなるかとは思いますが、如何せん私は特定の銘柄のお米を特定のお店で購入しているものですから、慌てて買いに出かけなければなりませんでした。
恐らく大晦日には休業しているであろう行きつけの米穀店。つい今しがた私は5kgの"ななつぼし"を購入し、これにて年越しを迎えることができると安堵したわけでしたが、もし万が一米のない正月を迎えるようなことがあったならば、私は一体何を口にしていたのかとつくづく疑問に思います。
冷凍庫を開けば餅がたらふくあり、お餅を食べながら過ごすというベターな正月を迎えることも可能ではありますが、米の代替品として餅で妥協するという構図ができあがってしまっている以上、やはりどこかしらではお米を口にしたいところ。よってお米の在庫は抱えておきたい次第です。
業務用のスーパーで購入したスパゲッティもワゴン台の上に悠然と置かれておりますが、正月をパスタで過ごすなんて文化文明重んじる日本人からすればあまり考えられない行動でしょう。
正月番組にカルボナーラ。和洋折衷も悪くはないですが、紅白幕の元で延々と漫才が流れる手前でクリーミィなパスタをすするのはいかがなものか。
個人的にはカルボナーラよりも喫茶店で出てくるような甘ったるくてギットギトのナポリタンを食べたいところではありますが、遺伝子的に刷り込まれた正月の慣習を重んじるばかりに、新年早々食べるものではないとつくづく考えさせられます。
やはり食すのであれば米以外の選択肢はないだろうということで急遽お米を買いに行き、一安心をしたところでようやく描き始めました、年の瀬を迎える今回の記事でございます。
それにしても年末年始というのはどうしてこうも静かなのでしょうか。
今朝方の私は昨晩の夜ふかしもあってか、随分と遅い時間に起きました。
具体的な時刻にして午前9時24分。普段ならば職場でデスクについて仕事を全うしている時間です。
休日ということもあって特別にアラームを設定しているわけでもなく、ただただ静かな一室の中で人間の生理的アルゴリズムに則ってゆっくりと目を覚ましました。
しかしこの日はどういうわけか辺りが妙に静か。休日だからと通りに車が走っていないのが要因なのか、将又別の原因か。
布団から上体だけ起き上がらせてカーテンを張った薄暗い部屋をキョロキョロと見回すも、何ら変わりなし。何ら変わりないものの、どこか時が止まったような、まるで絵の中にでもいる錯覚を覚えそうな違和感がありました。
音がしない。何も聞こえない。
日常下にある非日常を思わせる不気味な雰囲気が起きて間もない私を襲いました。
寝ぼけているわけではない――、スマホの画面に表示された時計は9時26分を指しています。
人の身体は時として唐突に変化を起こすことがあるそうです。
それは体が大きくなったり、足が速くなったり、声が変わったり、思考が変わったりなどと範囲は広く、良くも悪くもいつどのタイミングで起きるかもわかりません。
所謂生命の神秘。それがどう転ぶかは定かではありませんが、起きて早々に耳が聞こえなくなるなんて事例もなきにしもあらずでしょう。
――今朝方の私は耳が聞こえなくなったのでしょうか。
依然として生活音の気配は感じず、手に持っていたスマホのアプリを起動しても音は鳴らず、ぼーっとした蒙昧な頭の中で微かな混乱だけがぐるぐると巡ります。
ただ、外でカラスが鳴く声だけが延々と聞こえる。
普段はあまり聞いたことがないような鳴き声が、いつもよりも多く、そして何度も鳴いているのです。
静寂を孕んだ年の瀬に、聞いたこともないカラスの鳴き声だけが延々と続く。
やかましいなと思いつつも、この鳴き声しか聞こえない世界に徐々に覚醒した私の頭では一層の混乱が大きく膨らんでいったのでした。
体験したこともない不気味な朝。
カラスの声だけが聞こえる不気味な朝。
無駄な考えを巡らす内にスマホが指す時計は50分を回り、とりあえず私は布団という聖域から極寒の最中へと身を投じます。
カラスが鳴き、音がない以外は何一つとして普段と変わらない世界。強いて挙げるなら今が年末ということくらい。
寝間着のままガチャガチャと冷蔵庫を漁り、作り置きしておいたルイボスティーをジャバジャバとコップに注ぎます。
寒いからとこたつの中に入り込んで、ルーティンのごとくテレビの電源でも点けようかとしたのですが、やりこんでいるソシャゲのガチャが回せる時間だと言うこともあって、ひとまずは今一度スマホの画面を開いたのでした。
ゲームを開いても尚も変わらず聞こえない音。
本来ならばゲームのオープニングBGMがほんのりと流れるのですが、今日は画面しか映らない。
私は首を傾げ、側面にある音量ボタンを操作し、ミュートになっていた設定を切って、いつも通り音のある世界へと戻ったのでした。

牛脂丼って知ってる?
手軽にお米を美味しく食べる方法とは何ぞや――。
別の世界線で『白飯の流儀』という本を出版している出版社に顔を出した際、受付の人に好きなお米の銘柄を尋ねようとして、結果、意図が通じずに追い返されてしまったという過去を武勇伝として弾き語りをしながら生計を立てていると豪語する人と何ら関係性を持っているわけではありませんが、その人は貧乏暇無しを座右の銘に掲げて、如何にして安価で美味しくお米を食べるかを模索しているという話を聞きつけまして、この度その人が住んでいると言われている別の世界線まで足を運ぼうという思った後で「やっぱりやめた」という気持ちになり、結果としてその人と何一つとして顔を合わせることもなく私は今まで生きてきました。
そんな私が唐突に今回の記事のテーマとなる『お米を美味しく食べる方法』を思いついた――というところから今回の本題は始まります。
最近の私は玄米食にはまっておりまして、日頃から5:5くらいの割合で白米とブレンドした玄米を炊いて食べております。
ただ、やはり玄米食というのは普通の白米のみのご飯と比べて味も食感も大きく異なります。
よって、この『普段の私が玄米食に拘っている』というくだりは今回のテーマに全く沿っていないという観点から、これを読んでいる閲覧者の皆さんには無視してもらった上で今回の本題へと話を繋げていこうかと思うのですが――、第一に閲覧者の皆さんは白飯を食べるに当たって、如何にして食べると一番美味しいかということを考えたことはあるでしょうか。
そのまま食べるのが一番美味しいと答える人もいるでしょうし、酢飯にして食べるのが好きだとか、おにぎりが至高だと考える人もいるでしょう。
実際問題、ご飯の食べ方というものは食事マナーの範疇であれば個々の自由であって、そのレギュレーションも様々。
ただ、今回私が紹介する食べ方は丼というジャンルに片足を突っ込んだものであり、手軽さやコスト面からみて非常に優秀であると考えております。
今回の記事のタイトルを読んで大体の方は察しているかとは思われますが、その紹介するメニューこそまさしく『牛脂丼』。
文字通り牛脂を使用した丼として簡単、且つ安価に作れるものとしてご紹介させていただきたいと思います。

牛脂とは?
牛脂(別名:ヘット)。
文字通り牛の脂肪であり、昔から焼き肉や肉料理の風味付けとして使用されています。
例としてあげると、ホットプレートで焼き肉をする場合、敷き油としてプレートに溶かすという代物。
豚の焼肉などでもこの牛脂を使用することで牛肉の風味がついて、焼き肉としての深みが増します。
過去の下衆と皮肉の記事でもこの牛脂を使用した枝豆レシピを紹介しており、その風味付けの汎用性は抜群。
【対象の記事はこちら】
以前はお肉を購入する際、パックの中に一緒に入れられていたりなどしましたが、最近では成型脂が個包装されて精肉コーナーの片隅に置かれている場合が増えました。
「ご自由にお取りください」といった感じに、以前までは無料で配るお店も多かったのですが、無料という甘い言葉に釣られて一部のモラルのない消費者が無尽蔵に持っていってしまったこともあってか、「精肉商品購入者のみお取りください」だとか、1個あたり10円などと有料化されるようにもなりました。
ただ、それでも比較的緩い条件下で、且つ安価で入手できるということもあるので、私も常識の範疇でよく牛脂をいただくようにしております。

――して、ここまで話せば大体見当がつくかと思われますが、私はそんな安価で入手できる牛脂を使って丼を作ろうと試みました。
閲覧者の皆さんの中にも実際に見たことがある方もいるかもしれませんが――世の中には焼き肉やすき焼きで、ある程度火が通ったぷるぷるの牛脂をそのまま食べるというおっさんが存在します。
無論、いくら火が通ったところで牛脂は脂であることに変わりはなく、実際に食べるとギトギトとしていて、人によってはその食べる様を見てドン引きするという方も少なくありません。
しかしながら、人間というのは突き詰めると糖分や脂質を好んでおり、この牛脂をそのまま食べるというのも合理的な事例だったりするのです。
よって、いつぞやの私もそんなぷるぷるの牛脂をそのまま食べてみたことがあるのですが――これがまたなかなかどうして脂っこく、そのまま食べるのは個人的にあまり好みではありませんでした。
ただ、焼き肉をご飯の上に載せて食べるように、その牛脂をご飯と一緒にかきこむというのはなかなかどうして相性がいいようで、脂っこさこそあるものの、ご飯が進むコスパの良いメニューとして私は記憶に刻んだのでした。

昔食べたそんな記憶を頼りに今一度牛脂を使った丼を作れないだろうか――そんな規模の小さなプロジェクトが発足したのがつい先日。
冷蔵庫の中の棚の中にいくつかの牛脂が転がっていたこともあったので、今回私はその牛脂を使って『牛脂丼』を作ろうと挑戦してみました。
別の世界線では最も常識な家庭料理『牛脂丼』。
誰でもできる手軽さと、その応用の広さから様々な飲食店が看板メニューとして掲げているそうですが、原価の低さや手軽さに関しては消費者も承知の上のため、生半可な牛脂丼は淘汰されてしまいがち。
別の世界線の世はまさに牛脂丼の戦国時代。
そして私はそんな渦中に身を投じたことで、自ら至極となる牛脂丼のレシピへと辿り着いたのでした。

牛脂のコクと、特製タレのマリアージュこそが求める牛脂丼の究極系。
ぷるぷるの牛脂と、そのしつこさを緩和してくれる純白の米が織りなすイリュージョン。
白いご飯の上に白いものが載っているというビジュアルにはそこまで食欲を掻き立てるものはありませんが、牛脂丼というビジョンが出来上がった今、私は迷わずフライパンに牛脂を投入したのでした。
熱したフライパンの上に入れた成型牛脂はみるみる内に溶け、液状となり、そしてツヤツヤのご飯の上に載せるには適さない形となりました。
ご飯の上にかければただの油かけご飯。ツヤツヤというよりテカテカのご飯ができあがったのでした。
無論食べた感想は『油っぽい飯』。ただそれだけ。
美味しいかどうかではなく、まるで議論に値しない貧乏飯が誕生したのでした。


何ですか、このなげやりなオチは。

いつものことでしょう。

ごもっとも。

で、結局牛脂丼ってなんだったんですか。

焼肉屋さんで食べるご飯って美味しいじゃないですか。
あれのジェネリック版ですね。

わかるようなわからんような。

で、今回は成型牛脂を使ってしまったがために失敗してしまったと。
それだけの話ですかね。

成功パターンとは?

お肉屋さんとかで扱ってる手切りの牛脂は成型じゃない場合が多いらしいので、それを使っての牛脂丼をイメージしていたみたいですね。

肉料理で食べるぷるぷるのコラーゲン質のそれをご飯に載っけるというのが成功ビジョンだったそうです。

でも今って大抵のスーパーだと成型牛脂しか入手できないって話じゃないですか。

結局このレシピはお手軽ではないのでは?

普通に料理を作ったほうがマシでしたね。

トマトを食え、トマトを。

2025年もオートミールには随分とお世話になった。
2025年と大げさに言ったものだが、思い返せばオートミールを再び食べ始めたのも記憶に新しい。
ただ、短期間であったにせよ、それほどまでに印象として強く残ったのが2025年のオートミールの成果とも言える。
実際問題、この期間にオートミール食は随分と様変わりをし、そして進化をした。
これまで悩ませていた食感の概念を根底から覆す調理法を理解し、シンプルな味付けこそが究極であると結論付けたものの、後にてんさい糖を使って甘く仕上げたり、遂には最も手軽で美味しさを昇華させる調味料にも出会うことができた。
てんさい糖や調味料のくだりは未だこのコラムで紹介できていない。
今ここでその魅力をどこまでも説くのも厭わないが、当年最後のコラムを長々とした文章で締めるのも忍びなく、尚且つ2025年を終えた今もまだまだ可能性が広がりつつあると確信している。
オートミールはまだまだ伸びる。健康食としての地位を確固たるものとしながら、それでいてまだまだ美味しさを紹介する伸び代を持っている。
2026年のオートミールもきっと進化を続けるはずである。私は尚もそう感じる。
























【定次さん】






