お町なさ(な)い!!
おはよう、皆の衆。定次さんです。
いきなりですけど、脳みそって大きければ大きいほど頭が良いイメージがあるじゃないですか。
ネット上で動物別の脳みその大きさを比較した画像を見たりすると、実際にその動物の知能というものは脳みその大きさに比例しているように見受けられます。
そこで私は思ったわけです。
童話やファンタジーなんかに出てくる小人ってまともな知能を持っているのかと。
確かに有能であったという描写はあまり見かけません。集団で行動したり、知恵を絞り出そうとして奮起したりという場面はありますが、突出した1人が――なんて部分はあまり見られないように思います。
そんな小さな力が協力しあって物語を進めさせるというのが面白さなのかもしれませんが、そもそもそんなやり取りが出来るほどの知恵を絞り出し合える脳みそはあるのでしょうか?
自分たちの領地に迷い込んできてしまった冒険者の傍ら、何かしらアドバイスを出してくれるような存在ではなく、母音だけを発して口をパクパクさせながら互いに無意味に罵りあったり、無造作に生えている木の切り株に腰を据えてヘコヘコと腰を振っているだけの存在もいるかもしれません。
――ではあれでしょうか?
この理論から考えれば図体が大きい=頭がいいという話にもなってくるでしょうか?
同じファンタジーの舞台を例えに挙げるのであれば、巨人という存在はどうしても"のろま"に描写されがちです。
頭が大きいのに頭が悪そうに表されるのは何故?計算高く冒険者を邪魔する叡智の存在として物語に現れても良いのでは?
「私のデータによれば・・・」
なんてブツブツ呟きながら頭脳戦を繰り広げてくる巨人がいても悪くないじゃないですか。
ただ果物をぶん投げてくるだけの小人がいても悪くないじゃないですか。
しかしそれでも彼の脳みその大きさが空間を超越した存在となっているのは何故でしょうか?
脳みそに無数のシワがあるように、くしゃくしゃに圧縮されていてもおかしくはありませんし、とてつもなく大きなキャパシティを携える頭蓋骨の中で萎縮しきってしまった乾物のような脳みそがあってもおかしくありません。
何にせよ小人や巨人といった普通の人間からただ縮尺を変えただけの存在が普通の人間とどう違ってくるのか気になるところです。