【ブログ継続のコツ教えます!】毎日続けられる日記とは?
おはよう、皆の衆。定次さんです。
年賀状ってご存知です?
常識に長けた皆さんであれば年賀状がどういったものか勿論ご存知であるかとは思いますが、あれってぶっちゃけ面倒くさいですよね。
年始の挨拶のためだけにちょっと知った顔に手紙を一通ぶん投げる。たったこれだけ。
お元気ですか?といった内容のペン書きが施されている場合もよくあるかと思いますが、元気かどうか確かめたいなら電話でもかけてろって話ですよ。
まぁその電話も面倒なのでぶっちゃけ何もしたくないのが本心ですが。
正直言うとこの年賀状という習慣は嫌いではないんですよ。余裕さえあれば。
余裕さえあればじっくりと丁寧に心を込めて書くことが出来るわけですが、余裕がなければ枷でしかなくなります。
いやね、何故こうも嫌いでもない年賀状という習慣にぼやぼやとぼやいているのかと申し上げますと、昨年末、私は全く年賀状の用意をしていないまま年末年始にかけて実家へと帰省していたわけです。
そしていざ三ヶ日が終わって帰宅してみたら送ってもいないところから年賀状が多からずとも届いていたんですよ。
貰えるのは非常にありがたい話です。
しかしながらそれを手にして実感することは、今からこの送り主全てに年賀状を返さなければならないというやるせなさなわけでして。
ぶっちゃけ送り返さなくても良いんです。あくまで相手が一方的に好意を押し付けてきているだけなんですから。
でもそれに返さなければならないと思うのが日本人じゃないですか。
だから私は昨晩夜遅くまでせっせせっせと年賀状を書いていたわけです。
だから日記が書けなかったわけです。ろくに眠れもしなかったわけです。
古き良き風習のために私の日記が犠牲になった――そんな事実が許されるものでしょうか。否、許されるはずもありません。
私の内輪の勝手な都合で今回の日記内容は何ともお粗末な内容になってしまいました。
言い訳――とは言いませんが、今回まともに日記が書けなかった理由は年賀状のお返しを頑張って書いていたからという話になります。
おかげで時間がなくなり、日記を書く時間がなくなったわけですが、普通の人ならば時間がなかったからとその日の日記は諦めるでしょう。
しかし私はこんな状況でも日記を更新することを選びました。不都合があったからということを後ろ盾に適当な話を羅列して一つの記事として作り上げました。
雑な内容でも日記は日記です。皆さんはこの日記を読んで毎日更新を続ける私を『偉い!』と称賛する他ありません。
年賀状の歴史と私のブログの歴史を比べれば年賀状の方が圧倒的に古いでしょう。それ故に糾弾するつもりはありません。
寛容な心で年賀状という悪しき風習を許容しつつ、日記も続けていくことで自身の成長へと繋げられると意識を高く持つのです!
・・・で、結局今回の日記は何が言いたかったんです?
え、別に何も・・・。