腸内爆走族
おはよう、皆の衆。定次さんです。
子供というものはいい加減『泣き叫べば大人から優しい手を差し伸べられる』という甘ったれた考えを捨てるべきです。
確かに哀れみから同情を誘う行為というものは子供にとって最大の武器であり、大人には絶大な効果を発揮します。
しかし立場がイーブンであればどうだろうか?
大人と子供が平等な立ち位置に属すると受け取れる場合、子供に情けをかける必要性は出てくるのでしょうか。
私というものは負けず嫌いであり、人よりも上の存在で優越感に浸りたいというコンプレックスの塊でもあります。
昨日、私はゲームセンターに立ち寄ったのですが、そこで珍しく『欲しい』と思えるような好みの景品(ぬいぐるみ)を見かけました。
どうやらそのぬいぐるみは人気らしく、私が見かけた時には既に一人がプレイをしている真っ最中。
後ろに並んで空くのを待っていたのですが、そのうちお金が尽きたのか諦めたのか、その人は少しうなだれた後に財布をしまってその場を後にしてしまいました。
これはチャンスとばかりに私はすぐさま財布を取り出して機体の前へと立ちました。
1プレイ200円もする機体だったのですぐに財布が空になるのも頷けると思いながら今財布の中にある小銭をありったけ投入してプレイを始めます。
今回プレイしたこの機体は大型のアームを設定された時間の間にレバーで自在に操作し、景品を掴んで穴まで運んで落とすというもの。ここ最近ゲームセンターやショッピングセンターのゲームコーナーに少しでも足を運んだ人はわかるでしょう。
しかしこの手のクレーンゲームというのはご存知の通り、ある程度回数を重ねないとアームが弱まって全然景品を持ち上げてくれない、小手先の技術よりも財力と運が物を言う機体になっています。
何度もプレイを重ねるも一向に強くならないアーム。徐々になくなるクレジット。いつアームが強くなるのかわからない焦燥感に駆られながらも無情にもその場に落とされる景品。
遂にはクレジットも全てなくなり、私は一旦両替をするべくその場を離れることとなりました。
人気の景品とはいえ私が離れる時には誰も並んでおらず、クレーンゲーム自体にもキープ機能というものがあったようですが、両替をして戻ってくる程度のインターバルであれば必要ないと判断してサッと両替機へと向かいました。
すぐ側にある両替機、ここでお札を崩せば誰かに横取りされる前に次のプレイへと臨めます。
しかし生憎この時財布の中には1枚の1万円札しか入っておらず、近場にあった両替機では両替ができないというアクシデント。
結局少し離れた場所に位置する新型の両替機まで向かう羽目になり、私は慌てて1万円札を崩して機体へと戻りました。
しかし戻った頃には時既に遅し。
そこには私が動かしていたぬいぐるみをちちくりまわすようにアームで動かす子供たちが2人。
キープ機能を使用していなかったのが災いし、私は隣の機体の景品を見ているフリをしながらその傍らでチラチラと空くのを待つ羽目になりました。
様子を見る限り、2人はどうやら兄弟のよう。兄が財布を取り出して、弟がそのクレジットを使用して懸命にアームを動かしています。
一般的な大人であればその様子を応援しながら眺めるのが当たり前かとは思いますが、私にはさっきまで費やした、積み重ねたクレジットがあります。
下手をしたらこの兄弟のために全て無駄に帰してしまうと私は焦りました。ここで兄弟が景品を取ってしまったらまた1からいつ強くなるかわからないアームにお金をつぎ込む羽目になってしまう――。
終わったかと思えばお兄ちゃんが再び財布を取り出してクレジットを重ねます。
一体いつになったら終わるのかと、いつしか私は執念をプレッシャーに変え、傍らから圧力を与え続ける質の悪い大人へと変貌していました。
もしもこの兄弟がゲットしてしまったら諦めよう。
欲しいと思ったとは言え、私ももう大人。ぬいぐるみごときで本気を出すこともあるまい――と思った矢先、お兄ちゃんの財布が空になったのか遂に2人がその場を離れました。
すかさず機体の前に滑り込む私。キープはされていない。忽ち崩した1万円の一部をクレジットする私。
私の重ねた回数に兄弟の無念も積み重なってそろそろアームも強くなるだろう。
1回目……取れない。2回目も……その場に落ちてしまった。
気付くと後ろにはこの景品に魅力を感じたのか3組ほど後続ができていました。新規の女性に一番最初にプレイをしていた男性、そして両替をして戻ってきたのか先程のお兄ちゃんと弟。
背中にひしひしとプレッシャーを感じながらレバーを握る私は――笑っていました。
これだけ何人ものクレジットが犠牲になったんだ。丁度出番が回ってきた私にツキが来た。いよいよこの景品は――"落ちる"。
最初に投入した500円による3クレを使い果たし、もう2クレを追加。この400円を入れた時に感じた憎悪と諦念…それは私を優越感に震え立たせるには十分でした。
持ち上げたアームは力を弱めることなく順当に穴へ。
ぬいぐるみが勢いよく取り出し口に落ちた瞬間、私は勝利に歓喜しました。
景品を入手した後は後続者に目を合わせないのが勝者のマナー。
負の念を浴びながら、私はその風貌には似つかわしくない可愛らしいぬいぐるみを抱いて揚々とその場を後にしました。
Booooooooooo!!!!!
だって欲しかったんだもん。お金も無駄にしたくなかったんだもん。
大人げないとは思わなかったんですか。
そりゃあ確かに兄弟が可哀想だと思わなかったと言えば嘘になりますけどね。いやね、別にこの景品が最後の一つでどうしても必要だったり、小さな子が泣きじゃくってたら私にも情状酌量の余地はありましたよ。ですけど在庫はまだありますし、その子供たちのためにゲームという場でわざとお金を費やしてあげる義理なんてあります?譲り合いのためにクレジットを無駄にするのは情けをかけるよりももっと情けない気がしませんか?
子供たちの悲しむ顔が浮かんでこないんですか。何も感じないんですか。
正直に言いますと、彼らに情けをかける必要性は少なからずあの場ではありませんでした。
それはなぜですか?
彼らは金銭に恵まれていました。兄の財布から繰り出されるクレジットの数は生半可なものではありませんでした。何故なら彼らの抱えている袋の中には溢れんばかりの景品が詰め込まれていたからです。
そんなハンターな彼らに何も手にしていない私がわざわざむざむざ景品を渡す義理があると思いますか?答えは否です。私は強者であり、奴らは負けた。奴らはまたその地獄の淵のようながま口から再び小銭を錬成すれば良いだけの話だったのです。私は愉悦を感じたかった。そしてそれを日記に書き綴りたかった…これだけある理由にぬいぐるみを譲り渡す必要性など微塵もないでしょう。
では後続については?
あとの敗者は知らん。私が勝ち、奴らは負けた。
その逆もあり得るのが…ゲーセンなのです。