【もしかしたら忍者の末裔かも?】地味目なファッションセンスは忍びの証
おはよう、皆の衆。定次さんです。
季節は移りに移り変わって衣替えも著しい。
肌寒いかなと思ったらもうセーターを重ね着しちゃっているのが今日この頃です。
さて、衣替えとなるとこれまでに着ていた服をタンスの奥深くから引っ張り出してこなければならないわけですが、今まで着ていた服を年月を経てから改めて眺めてみると、どうしても見劣りしてしまいます。
また、人間というものは真新しいものを求める生き物なので、機会を得る毎に消耗品感覚で服をとっかえひっかえするのが当たり前のようになっています。
頻繁に服を買っていたら金額もバカにならないでしょう。
私自身は服1枚に対してかかる価格が釣り合わないと感じるため、服の買い物というものが非常に苦手です。
シャツとアウターを買った日なんかは財布から諭吉が一人消えている。こんな布切れにどうしてこんなにも金をかけなければならないのかといつも不満に思っています。
だからこそファッションにお金をかけられる人が何とも羨ましい。
一体どこからそんなお金を捻出することができるのか。布切れが詰め込まれたカゴをレジに持っていった際に表示される金額を見て何を思わないその感性…なんとも羨ましいものです。
お金がないから色々な幅の服を選べない。
“何にでも使える汎用性の高さ"という限られた選択肢の中から選び出すのは結局地味目な服。
地味な服でコーデをし、結局自分にはファッションセンスがないなと嫌悪してしまうのが実情です。
しかしそんな人らは本当にそんな理由で地味な服を選んでいるのでしょうか?
近年、学会では『人間の遺伝子情報には外部から取り入れる保護色を選別する潜在意識が組み込まれている』という発表がありました。
人間は知能が高い故に状況判断に長けた能力にも秀でており、野生生物のありがちなカモフラージュ能力といった内部的な能力ではなく、人体から切り離した部分で発揮するという特殊な能力を持っています。
これはあくまで頭で考えてからの動作ではなく、無意識下で行われる反応であり、人のファッションセンスの根底にはそのDNA情報が関係しているとのことでした。
そして面白いことにこのDNA情報は人類が生まれた頃からあるわけではなく、日本で言う忍者などが暗躍した時代あたりに突然変異したものらしいです。
だからこそ忍びという存在は周りの環境に溶け込みやすいよう地味目の服を選ぶようになっただとか。
勿論このDNA情報は現代に生きる私達の中にも残っていて、ついつい地味目の服を選んでしまいがちな人は昔のその忍者の末裔であるという可能性もあるとかないとか。
――まぁ実際先祖に忍者がいたという事実があったからとしても何も得することはないんですけどね。
そもそも上記のDNA云々のくだりは全て嘘ですし、ファッションセンスなんてものも全て個人の自由勝手です。
ついつい普段から地味目な服を着てしまいがちな人がいたならば、自分は忍者の末裔だと信じ込んでみるのも一つの手なんじゃないっすかね。