【真夏の矜持】ダイレクトバーベキュー
おはよう、皆の衆。定次さんです。
トイレという場所は不思議な場所です。用を足す場所でありながら、何かと"いわく"も沢山耳にします。
皆さんの中にもこれまで生きてきてトイレで不思議な体験をした――なんて人も少なからずはいるでしょう。
今回書き綴っていくお話は先日私が職場のトイレで用を足していた時に起きたこと。時間が経っているため今となっては確かめる術はありませんが、不思議に思った出来事です。
人間、トイレで過ごす瞬間は安らぎを覚える反面、無防備な姿をさらけ出す状況になるので本能的に神経が過敏になると私は思っています。
何しろ小便器に立つ場合には人に背を向け、個室で座っている時に関しては仕切り一枚隔てた向こうが見えません。
そんな状態で何者かに襲われようものならば、逃げるどころか抵抗できるはずもない――だから人は用を足す瞬間、最大限に雰囲気を読み、無意識の内にあらぬものまで感じ取ってしまいます。
以前、その職場のトイレの個室でとある事件が起きました。
小便をしようと小便器の前に立った私でしたが、2つあるうちの奥の個室からとてつもない悪臭を感じました。
「一体誰がこんな臭いうんこをしているものか」と怪訝に思いながら用を足していた私でしたが、その時はそれ以外に何も思わずにトイレを後にして仕事へと戻りました。
夕方頃、大きな方を催した私は先程の悪臭のことを忘れて再びトイレに入り、そして何の気なく奥の個室を開けました。
思わず声を上げてしまいました。
便器と床にぶちまけられ、必死に隠そうと拭われたうんこの山。
時間が経過していたのでそれなりに乾き、臭いもおさまっていました。
うんこというものは拭ったり伸ばしたりをすると酷く悪臭を放ちます。
拭われた後を見るとあの時に感じた悪臭はまさしく誰かが漏らしていたそのタイミングだったのでしょう。
私は扉自体に汚れがないかを確認した上、冷静に扉を閉めてもう片方の個室へと入り、速やかに用を足してその場を後にしました。
――そんな事件があった翌日、昼時に改めて個室を確かめるとあたかもそんな事件なんてなかったかのようにトイレは普段通り綺麗な状態に戻っていました。この時ほど清掃員の人に感謝と敬意を払ったことはなかったでしょう。
しかし前日の夕方から翌日の昼までにこのトイレの惨状を目撃しなかった人がいないわけがありません。
いくら綺麗に元通りになったとはいえ、そんな出来事があったことを知っていたらどこか抵抗を覚えてしまうのが人間の本質です。私もその一人であり、その後はなるべく手前の個室を使用するようになり、使用前に便座を綺麗に拭き取る習慣がつきました。
後日、私は普段通り手前の個室を綺麗にした上で使用していました。
ここのトイレは個室の数から察する通り、特別広いわけでもなく、誰かが入ってきたら入り口の扉の開け閉めですぐにわかる間取りになっています。
そのわりに建物自体には人がそれなりに多いため使用率はそれなりに高く、個室に入っている間もひっきりなしに人が出入りするのが伺えます。
その日の私はお腹の調子が悪かったような気がします。
生理現象だから仕方がないとはいえ、放り出す際の音というものはなるべく聞かれたくないもの。
最大限に尖らせた感覚で仕切り一枚向こうの空間に何人がいるか、往来が止まるまで私は必死に肛門を閉じていました。
そして最後の扉が閉まる音が聞こえ、ようやくトイレに自分以外誰一人もいなくなったと感じた次の瞬間でした。
スンッ…スンッ…
不気味に鼻を啜る音が響いてきました。
隣の個室にまだ人がいたのでしょうか。これ以上我慢できなくなった私は仕方なく精一杯の消音を意識して体内に詰まっている汚物を下の口から吐き出しました。
スンッ…
スンッ…スンッ…
尚も鼻を啜る音は止みません。隣は空いているはずなのに。小便器にも誰もいないはずなのに。
もしかしたらと私は一つ気が付きました。私がトイレから出るのを待っているのではないかと。
潔癖故に、そして以前に奥の個室であんなことがあったことを知ってしまったが故に私が使用しているこの手前の個室が空くのを待っているのではないかと。
そう思ったらいても立ってもいられません。私は慌ててウォシュレットを起動し、尻を拭き、「今から出ますよ」と言わんばかりに体を動かして外部へとアピールをしました。
ベルトを締め上げて全自動で流れていく水に消えていく汚物を見届けた後、覗き込むように、そして「お待たせしました」と言わんばかりにひしゃげた笑顔で扉を開けました。
もう聞こえない啜る音。
直前まで聞こえていたのに。
小便器には誰もいない。隣の個室も開いたまま。
私は誰のために慌ててトイレを出たのでしょう。確かに扉の向こうに気配があったのに。