ちょっとしたダイアリー『シュレーディンガーの寸胴』
おはよう、皆の衆。定次さんです。
人の思い込む世界というのは何かと現実と乖離してしまうもので、それは考えているよりも良いものか悪いものか、大きいものか小さいものか――などと尺度は様々ですが、想像しているビジョンとは多少の誤差が生じてしまいます。
一体何を伝えたいかと申し上げますと、我が家で使用している寸胴鍋が思っているよりもずっと短いということ。
寸胴鍋は煮物や麺を茹でる際に使用するためのものとして以前に購入したのですが、基本的には既にある両手鍋を使用しているため、あまり頻繁には使用しておりません。
故に実際のサイズをあまり記憶することがなく、使い終えて戸棚へと片付ける度に印象が薄れてしまいがち……次に使用する際には『寸胴鍋』という名前の印象から実物よりも一回り大きいスケールで見積もってしまうことが多々あるのです。
「そんなことがあるわけない」と心の中で笑われてしまいそうではありますが、それほどまでに『寸胴鍋』という名前から引っ張られるイメージは強いもので、誰しもがラーメン屋さんなどが使用する大きな鍋を想像してしまうと思います。
そんな思い込みが引き起こす現象が我が家の戸棚の中で頻繁に起きているわけです。
言わば『シュレーディンガーの寸胴』でしょうか。
戸棚を閉めたその瞬間、戸棚の中にある寸胴の大きさが変動しているかどうかは実際に見てみなければわかりません。
開いたところで寸胴鍋の大きさは元のサイズへと戻りますが、戸棚へと片付けた上で想像上の寸胴が大きく変化していると思考した時点で戸棚の中の寸胴の大きさは不安定なものとなるのです。
それは単なる妄想であって、量子力学を引き合いに出すのはまた違うのでは?
世の中の大半の人のシュレディンガーの猫の認識なんて『箱の中の猫が生きているかどうか』くらいのものだから無問題かと。
何にせよ、実際の持ち主のイメージと実物の寸胴のサイズが乖離していて、今後もそれが合致する可能性が少ないと考える以上、この寸胴鍋に対する印象というものは『おもしろ鍋』としていつまでも私の中で存在するでしょう。
昨今の流行りで言えばSCPに近いものかもしれません。
巨視的な認識範囲外で及ぶ形状の変化、認識災害を引き起こす鍋という可能性も考えられるでしょう。
現状、思考内における形状との齟齬によって被害は起きていないので、摺り合わせによる認識の合致は必要ないかと思われますが、もし心配ならば実物をよく見て大きさを覚えるのも一つかもしれません。
この手の思い込みによる認識の食い違いというのは日常下では何かと多いもので、最近では今回例に上げた寸胴鍋の件以外にも、自身の描いたイラストにも同様の現象が発生しています。
想像上のイラストはもっと出来が悪い、ある程度仕上がっている時点でもうあまり手直しもきかない……そんな考えが先行する中、改めてイラストを見てみると、思っていたよりも出来が良かった――なんてことが度々あるのです。
しかし画面を閉じてまたしばらくすると、そのイラストの粗が想像上で浮き彫りになってしまう……そんな問答の繰り返しをするばかりです。
今回の記事、難しい考えばかりを表面化しようと躍起になっているので、今ひとつ文章として成り立っていないように思いますが、これもまた認識と現実との食い違いなのでしょう。
夢の中で上手く走れないように、体育の授業で想像していた活躍ができなかったように、人は想像と現実との摺り合わせを非常に苦手としております。
現実を見るのは簡単なことですが、受け入れるのは難しいもの……想像と現実を上手に切り替えて毎日を過ごしていけるよう頑張っていきましょう。
脳内のイメージをこま‥アップデ‥するのが大事な‥すね。
そういうことです。