【コラム】マッサージ店に行ってきたのでそのレポート
おはよう、皆の衆。定次さんです。
皆さん、体は柔らかいですか?
ぐっと曲げたらその分曲がる。肩こり首こり、腰痛なんて無縁という方も多くいるかと思います。
しかしながらそんな中でその真逆の人がいるのも確か。
スマホやPC、ゲームの画面を長く見る機会が増え、デスクワークや寝転がる時間が長くなり、まっすぐに体を伸ばすことが少なくなったことが原因で体の筋肉が随分と衰えた人も少なくないはずです。
閲覧者の皆さんの中には首から腰まで一枚岩で出来ている人がいるという噂を聞いたことがあります。
本来一枚岩という言葉は集団のまとまりを意味しており、チームワークや連携と言ったニュアンスでポジティブな言葉と考えられがちですが、ここで言う"身体の一枚岩"は不健康を意味するものであり、尚且つ、日常化に置いて様々な弊害を持つものとして揶揄される存在となります。
嘗て、全身一枚岩と呼ばれた男性がいました。
彼は道行く人々に珍奇な目で見られ、驚かれ、笑われ、そして後ろ指をさされ、いつしか生まれ故郷である村から出ていくことを余儀なくされました。
――彼は心優しい青年でした。
子供たちから執拗に追いかけられて石を投げられても何一つ眉をひそめることもなく、また、その硬い体を利用して暴漢から村人を守ったりと、優しくもあり強い人間でした。
しかしそんな彼でも耐えられなかったのです。
彼の硬い体を利用することで近隣地区の征服を企む隣町の組織から狙われていることを知り、自分のこの体が悪用されてしまう――、このままでは生まれ育った故郷を危険に晒してしまうと考えた彼は遂に故郷を捨て、遠くの山の上へと一人残りの人生を過ごすことを決めました。
道中には幾多もの恐ろしい危険が待ち構えていましたが、彼の硬い体には何一つとして通用しません。
二足で立ち上がると全長2mをゆうに超える巨躯を持った獰猛な獣の爪、入り組んだ樹海の中で飛び回るように駆け巡る素早い獅子の牙、自らの体躯より3倍も大きな動物でさえも一瞬で倒してしまう蛇の毒牙、トウモロコシ入りの猿の糞、複雑な地形ももろともしない巨獣の足……硬い一枚岩で出来た彼の体には何一つとして効きませんでした。
いつしかそんな殺伐とした動物界の頂点に君臨し、彼らの存在を統べ、山を攻め込んでこようという余所者が現れようものならば、真っ先に駆けつけて皆の盾となりつつ戦いました。
しかしそんな強く、優しい彼も老いからくる衰えには勝てません。
動物たちが心配する中、死期を悟った彼は一人にするように言い、何者も足を踏み入れていない岩山に上り、頂きの上で静かに息を引き取り、そして長い年月をかけて大きな岩となりました。
――彼が岩となって随分と長い年月が経った頃、彼の故郷は嘗て無いくらいの大きな台風に見舞われました。
川は荒れ狂い、山地は崩れ落ち、育てた田畑は泥に呑まれ、人々が住む家は一夜にして瓦礫へと変わってしまいました。
史実に載せるにも恐ろしいくらいの被害となった厄災。奇跡的に生き延びた人々も泥に埋もれた地面に膝をつき、頭を抱えてただただ嗚咽を漏らすばかり。
「一体どうすればいいんだ」
「これからどうやって生きていけばいいんだ」
台風が通り過ぎて晴れやかな日差しだけが注ぐ"嘗て村があったところ"。
首を括るための枯れ木も全て折れ、そこには絶望だけが残っていました。
――台風の影響によって彼の岩も大きく削られていました。
あれほどまでに硬さを誇示としていた岩も、槍のような風雨に削られ、今にも崩れそうになっていました。
誰しもが踏み入ることが出来なかった遠い遠い山の上。その尖った剣のような峰もいつしか随分と丸くなり、動物たちも日々憩いのためにやってきます。
そしてある時、ひょんなことからぶつけられてしまった猿の糞。
その拍子で岩の足元はバランスを崩し、麓に向かって真っ直ぐ転がっていってしまいました。
山の上から転がり、転がり続け、向かう先は嘗ての故郷。
険しい岩肌に何度もぶつけ、砕け、削れ、泥地広がる絶望の縁へと転がり落ちました。
転がり落ちて丸く削られた岩。雨露に光り輝くその姿はまさに宝玉。遮るもののない太陽の光に眩しく照らされた宝玉を見て、人々は物珍しそうに顔を上げます。
嗚咽だけが響いていた村が一気に静まり返ります。
絶望の闇に差し込んだ一筋の光。村人たちはその光を頼りに皆ゆっくりと立ち上がり始めました。
袖で顔を拭い、泥の着いた顔でフフと笑い合う……。周りに広がる景色は無に等しいものですが、彼らはまた1から始めようと希望を持ったのでした。
――心優しい青年。
一枚岩の体と笑われた彼は自らの身を削り、故郷だった一つの村を救いました。
翌日には重機を何台も手配して隣町の組織が駆けつけてくれました。彼らはその被害の大きさにも驚きましたが、村人たちの前向きな姿に一層驚きました。
みるみる内に復興は進み、村は嘗ての姿を取り戻していきました。
すっかり現代社会に溶け込んでしまった村の今も、彼の姿はシンボルとして大事に飾られています。
彼はいつまでも村人達の中で生き続けることでしょう。例えそれが人であったとしても、一枚の岩であったとしても。
――そんな話とは全く関係ないもので、現代病と呼ばれる体の"こり"とはなかなか治せないもの。
運動、食事、睡眠と言った生活習慣の改善、はたまた人為的な治療を用いて理学的に治すもの。
日々こうして長々と文章を書いてばかりの私も首こりに悩んでいるもので、筋肉をほぐして脳みそへの血流を良くするために先日より整骨院を受診しております。
整骨院の情報については過去に書いた記事があるので、気になる方はそちらを参照してください。
さて、整骨院でマッサージを受けていた私でしたが、今回は打って変わってマッサージ店へと行ってきました。
整骨院でも整体でもない、単なるマッサージ店。
整骨院との大きな違いと言えば、保険の効かないサービス業であって、整体と違って体を大きく動かさないところでしょうか。
実際問題、整体院には通ったことがないので整体がどういったものなのかは理解しておりませんが、今回の概要を説明すれば以上の話になるでしょう。
別段、性的なマッサージ店を意味しているわけではありません。
世の中にはそういった類のいわゆる"メンズエステ"とも呼ばれるものがあるようですが、今回のお話はその手の内容は全く関係ありません。
そもそも当ブログ『下衆と皮肉』自体、性的な内容を取り上げることがほぼほぼなく、閲覧している側の方が何故そのような邪推をしてしまった上でこの記事を開いてしまったのか非常に理解に苦しみます。
私の書く文章はおちんぽで考えるものではなく、脳みそで考えるもの。邪な考えを持って何かを期待した方は反省して山奥でひっそり過ごすようにしてください。
ちんぽこバナナ!
――さて、何だかんだ言いつつも先日私は健全なマッサージ店に足を運んで肩こり首こりの解消に臨んできたわけでしたが、まずは整骨院で受けたマッサージとどう内容が異なっていたのか紹介したいと思います。
施術の際にお願いしたのは従来通り首こりや肩こりについて。
担当してくれたのは何とも手練そうなお婆さんでした。
整骨院同様にロイター板のようなところにうつ伏せになり、手圧や指圧で要所要所に力が加えられます。
何だかんだで気持ちが良かったのでしょう。定期的に私は意識が飛びそうになり、もしかしたら寝息まで立てていたのではないかと思えるくらいにリラックスをしていました。
しかしここまでは普段から整骨院で受けている治療と何ら変わりなし。
整骨院では保険が効く以上、こんな内容であれば3倍は高い料金が取られるという事実を受け入れられません。
とりあえずはまだまだ時間はあるようです。首付近から肩、背中と徐々に下っていき、いつしかお尻の辺りまで指圧がされ始めました。
こんなの私知らない!
背中までならともかく、下肢まで押されるのは初めてでした。
マッサージの際に上肢や足のツボを押されて痛みを感じるのはわかります。
しかしまさかお尻にもこんな痛みを伴うツボがあるとは知りませんでした。
痛い以上は効いている実感があるということで、ただただ私は痛みを堪えながらマッサージが終わるのを待ちました。
ですがこの痛みというものは肉体的に苦痛ではなかったのでしょう。とても痛いと思いながらも、私は上肢に受けたマッサージと同様の心地良さを感じ、定期的に意識が飛びそうになっていました。
もしかしたら仕事帰りだったために疲れが出ていたのかもしれません。疲れがあったからこそ寝そうになっていたのかもしれません。
しかしそれでも今回のマッサージはとても有意義なものになったと思います。
気持ち良いだけではない、"痛"気持ち良いというものがこういった場で得られると初めて知りました。
上記の説明でもあるように、保険が効かない以上はそれなりのお金がかかります。慎ましく外食をすれば3食はいけるでしょう。
故に足繁く通うというのを選択肢に入れるのはなかなか難しいかもしれませんが、たまにはちょっとばかし贅沢をしてこういったマッサージを受けるのも悪くないのかもしれません。
今回のお話を聞いて皆さんも多少興味を持ってもらえたらと思います。
それにしてもこうしてマッサージを受ける際に思うことがあるのですが・・・。
何でしょうか?
マッサージが終わった後で実感を求めてこないでほしい。
どうですか?的な?
うーん、軽くなりましたぁ!
・・・なんてすぐに実感湧かないんですよ。
即効性はないんですかね?
マッサージってほぐして結構良くして柔らかくするってものですからね。
どうせなら気持ち良かったかどうか聞いてもらったほうが良いのかもしれないです。
・・・どう?気持ち良い?(囁きボイス)
いや、それはそれで困る。